ひと夏の思い出 と 一生の思い出【完】
ふらつく足で社長に店から連れ出され、タクシーを呼び止められるけれど、今日は帰るわけにはいかない。

「嫌です。帰りません」

私は、社長の腕にしがみついて、タクシーに乗ることを拒否した。

「はぁ……
 じゃあ、どうするんだよ」

社長が少しイラついてるのは分かる。

それでも、今日は帰るわけにはいかない。

「社長の家に……」

私は恥ずかしくて消え入るような声で告げた。

「……お前、それがどういうことか、分かって言ってるのか?」

私は、無言でこくんとうなずく。

「ったく。分かった。覚悟があるなら来いよ」

社長は、私をタクシーの奥の座席に乗せ、自分もその隣に乗り込んだ。

「すみません、このまま直進して次の信号を左折してください」

指示を出した社長は、私の手をぎゅっと握る。

社長とこうして手を繋ぐのは、高校生の時以来かも。

10分ほど走って、タクシーを降りると、足元がふらつく私は、社長に肩を抱かれ、支えられながらマンションへと入る。

部屋に入ると、社長は言った。

「俺は、もうごっこ遊びに付き合ってやる余裕はない。もし、実里がただ単に大人の女ごっこをしてるだけなら、タクシーを呼んでやるから、今すぐ帰れ」

違う! 大人の女ごっこなんかじゃない。

私は、必死で首を横に振る。

「私は、社長が……」

社長は、私の頬に手を添え、親指の腹で目元をそっと撫でる。

どうやら、私は泣いてるらしい。

「実里……」

唇にしっとりと柔らかなものが触れた。

ウィスキーの匂いがする。

大人の香りだ。

大人のファーストキスの味は苺でもレモンでもない。

ウィスキーの味がするのね。

酔ってるせいか、この時はまだ、そんなことを考える余裕があった。

けれど、その後は……

思い出すだけで赤面するくらい恥ずかしい。

私たちは、狭いベッドで抱き合い、寄り添い合って眠った。



明け方、私は、脚本通りベッドを抜け出す……はずだったのに、抜け出せない。

社長に、後ろからしっかりと抱きしめられているから。

私は、そっと社長の腕を持ち上げようとするけれど、びくともしない。

それでも、必死でもぞもぞとしていると、後ろから耳元に声がかかる。

「何してんの?」

社長!?

「えっ……いえ……あの……」

私は、必死で言い訳を考える。
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