昔飼ってた犬がイケメン男子高校生になって会いにきた話
ハルが亡くなってから十二年。

高校三年生の冬。葉月は受験を間近に控えていた。

「今日はハルの命日━━か」葉月は自宅のカレンダーを見ながら言った。そのカレンダーには赤く丸印が付けられていた。

 葉月と父はハルが亡くなった後、ハルを家の庭に埋めた。どこに埋めたか分かるように、『ハル』と書かれたガーデニング用のネームプレートを挿して。

あの日から毎年命日になると、ハルのお墓参りをするのが葉月の中の決まりごとになっている。

だから今日と言う日は葉月にとって、忘れられない大切な日なんだ。

 葉月はリビングから庭に出た。

相変わらずハルの墓はそこにあった。墓に近づくと、ハルの大好物だった茹でたささみがお供えしてあるのが見てわかった。

 ここにお供えをしたのは、きっと父だろう。

 ハルの墓の前でしゃがみ、葉月は静かに手を合わせた。

「葉月、ただいま」

 声がした方を振り返ると、父が縁側に立ってこちらを見ていた。

「お父さん、おかえり」

「ハルの墓参り?」

「そうだよ」

「あれからもう十二年か。本当早いよ」父はそう言うと、縁側に座り込んだ。

葉月はその場で立ち上がってハルのお墓を見ながら、「うん……」と言った。

「受験勉強、頑張ってるそうだね。母さんから聞いたよ」

「うん、まあね」

「自分を追い詰めすぎて、体調を崩したりしないように」

「大丈夫だよ。体調管理はしっかりしてるから」

「心配だな」

不安そうな顔をする父を見て、「大丈夫だって。もう本当にお父さんは心配性だよね」と呆れながら葉月が言った。

「何事も油断は禁物だからね」

「はいはい」

 すると、どこからかスマートフォンの着信音が鳴った。

「僕のスマホだな」父はそう言うと、鞄からスマートフォンを取り出し、画面を確認する。

「仕事?」

「うん。ごめん、父さんまた出ないといけないから、母さんと留守番よろしくね」

「また? まあいいけど。気をつけてね」

 葉月がそう言うと、父は家を出て行った。

 最近の父は仕事が忙しいみたいだ。今日みたいに、家に帰ってきたと思えばまた仕事に行ってしまう。そう言うことがこれまで何度もあった。

 父の職業は大学教授だ。忙しくても別におかしくはない。だから、葉月はこれまで父が家にいなくても特に気にはしなかった。

 でも母だけは、父が家にいない日にはいつも寂しそうにしていた。

 母に父のことを話すと、『仕事だからね』と仕方なさそうに言うだけだった。

葉月はそんな母を見ていられなかった。仕事で忙しいのはわかっているつもりだけど、母のためにも父にはなるべく家にいて欲しい。

そうは思っても、どうしようもできないのが今の現状だ。そんな現状を前に、つい後ろ向きになりそうになる。

しかし、こんなことでは駄目だと何とか自分を奮い立たせ、気持ちを切り替えた。

家族のことも大事だけど、今は受験勉強を頑張ろう。

葉月は勉強のために自分の部屋に行くことにした。そこでふと、先程父がいた縁側を見ると、財布が落ちているのを見つけた。

「もー。財布忘れてるじゃん」葉月はそう言うと、父の財布を拾った。

 早速、葉月は父に財布を忘れていることのラインを打った。すぐには既読がつかない。

 しばらく待ってみようと思ったけど、このまま気づかなかったら困るだろうな。

まだそんなに遠くには行っていないはずだから、届けに行こう。

 そう思い立つと、葉月は急いで家から出た。

 きっと駅に向かったはずだから、駅まで向かおう。

 葉月は父を追いかけて走った。左右を確認して父を探しながら走る。

「お父さんどこー⁉︎ 全く、財布なんて重要なもの忘れないでよ」走っていた葉月の口から思わず愚痴が出る。

しばらく追いかけていると、走るのが辛くなり葉月は立ち止まった。

「はあ、ちょっと休憩」

 息切れをしながら、両膝に手をあて下を向いた。そして先程父に送ったラインを確認する。

既読はなし━━か。

「もう届けなくていいかなあ」

 葉月が諦めようとしたその時、どこからかフワッとした風が吹いた。前を向くと、目の前には河川敷があった。

 ここは、昔父とハルでよく遊んでいた場所だ━━。

 葉月は懐かしく思い、その河川敷に近づいた。

すると、川の近くで見覚えのある姿が葉月の目に入った。

 よく見ると、その人は父であることがわかった。

(何であんなところにいるの?)

一瞬、疑問が浮かんだが、財布を渡すため父に呼びかける。

「お父さーん! 財布忘れてるよ!」大きな声で葉月は言った。

 父の反応を待ったが、遠い距離にいるためか葉月の声が聞こえていないようだった。

「もー、お父さんってば!」そう言った直後、葉月はハッとした。

パッと見ではわからなかったが、どうやら父は誰かと一緒にいるようだ。周りには誰もおらず、話しかけづらいムードで漂っている。

「誰?」

 葉月はしばらく様子を伺った。

相手は髪が長くて、服がスカートだったため、とりあえず女の人だと言うことはわかった。

 二人にバレないように、葉月はもう少し近寄ってみることにした。

 女の人の横顔がよく見える位置まで移動すると、その人が誰なのかすぐにわかった。

(莉乃さん……)

 莉乃は近所に住んでいて、葉月とはたまに挨拶を交わす程度の間柄だ。以前はモモと言う黒色の柴犬を飼っていたのだが、ハルと同時期に亡くなった。

ハルとモモがまだ生きていた頃は、散歩中に莉乃と立ち話をしたり、時には一緒に散歩をして河川敷で遊ぶこともあった。

その当時、莉乃は父が働く大学に通う学生だったが、現在は助教として父の下で働いている。

 本来なら何も心配する必要はない相手なはずだが、父と莉乃の間に流れる不穏な空気を感じ、葉月は話しかけられずにいた。

何を話しているのか気になるが、この距離では聞こえない。

やきもきしながらその様子を見ていると、急に、父と莉乃は人から身を隠すように、すぐ側にあった木の後ろへ回った。

(ん? どうしたんだろう)

 気になった葉月は、二人の姿が見えるところまで移動すると、突然、自分の体に雷が落ちたように硬直した。

父と莉乃がキスをしていたのだ。

 葉月は言葉を失い気が動転した。

しかしすぐに正気に戻り、父と莉乃のキスをしている姿を見続けているのが嫌で、その場から離れた。

(信じられない。意味が分からない)

 歩きながら心の中で先程見た光景を否定した。そしたら徐々に自分の心が蝕まれていくのがわかった。

 もし母があの光景を見ていたら━━そう考えると、父に対する怒りが、葉月の腹の底から一気に込み上げてきた。

 葉月は歩くのをやめ、一旦電柱の前で立ち止まった。そして電柱にもたれかかるように背中を預けた。

 今まで仕事が忙しいと言っていたのは嘘だったのだろうか。

本当は外で莉乃と会っていたと言うことなのか。

家族のことはどう考えているのか。

 次から次へと父への疑問が出てきた。葉月の頭が一杯になった時、地面のアスファルトは音を立てながら徐々に崩れていった。

葉月は深い暗闇の中に飲み込まれていき、叫び声をあげながら、もがき苦しんだ。

しばらくすると、その場は水中に変わった。

父に失望した葉月は自暴自棄になり、身動き一つ取るのをやめ、ただ静かに上を見上げた。

そして息ができずに、そのまま気を失った。

  ☆
< 16 / 60 >

この作品をシェア

pagetop