昔飼ってた犬がイケメン男子高校生になって会いにきた話
仕事終わり、家に帰ると、昨日と同じく今日も家の前に人が立っているのが見えた。

葉月は前のこともあってその人物が翔だと判断すると、「翔?」と尋ねた。

 すると家の前に立っているその人物は葉月に顔を向けた。

 顔を見るとやはり翔だった。翔はいつもより元気のなさそうな顔をしている。

 また家の前で自分の帰りをずっと待っていたのかと思うと、葉月はいたたまれない気持ちになった。

 まるでそれは、翔がハルだった時を思い出させた。

 母が言っていた。ハルはいつも夕方になると、小学生だった葉月の帰りを玄関の前で、今か今かと待っていたらしい。

 そして葉月が帰るとハルは、思いっきり尻尾を振りながら葉月に飛びついてきたんだ。

ワンワンと嬉しそうに吠えるハルは、本当に可愛くて仕方がなかった。

 今、目の前にいるのはハルだけど、ハルじゃない。でも、そんな存在を今まで傷つけたかもしれないと思ったら、葉月は胸が締め付けられるようだった。

「翔、あの」葉月は翔に話しかけた。

 しかし何も言わず、翔は下を向いた。今日の翔はいつもの元気な翔とは全然違う。

「何で何も言わないの?」葉月が翔に訊いた。

そしてしばらく経ってから翔は葉月を見た。

「葉月さん、今までのこと謝らせてください。本当にごめんなさい」

 翔は頭を下げた。

 思いもよらないことが起きて葉月は驚きを隠せなかった。

「そんな、謝るのはこっちの方だよ。顔上げて翔」

 なぜ翔が謝っているのか分からず葉月は混乱した。

「いや、俺が悪いんです。今まで俺は葉月さんとお父さんが、また前のように仲良くなることしか考えてなくて、葉月さんの気持ちを全く考えていませんでした。でも俺は昨日の夜、ようやく気付いたんです。葉月さんが一人で悩んで傷ついて、その感情を抱え込んでいることに。葉月さんだって本当は仲直りしたいかもしれないのに」

「翔━━」

翔は昨晩、ずっと自分のことを考えてくれていたのかもしれない。そう考えたら葉月は感嘆せざるを得なかった。

そして翔に言われた、今まで自分一人で抱え込んできた気持ちのことを考えると、少し涙目になった。

「でも、もう大丈夫。これからは全部一人で背負い込まないで、俺と一緒に悩んでください。この問題は、急がないでゆっくり解決しましょう」

 自分よりも六歳も年下の男の子なはずなのに、今はそんな翔のことが他の誰よりも頼もしい。

「ありがとう」

「お礼なんていいです。それよりもまた葉月さんといろいろ話したいし、遊びに行きたいです」

「もちろんだよ。でもその前に、私にも謝らせてほしい。翔が一生懸命私とあの人のことをどうにかしようとしてくれたのに、逃げてばかりでちゃんと向き合えなくてごめんね。だから私も、本当にごめんなさい」そう言うと葉月は翔に頭を下げた。

「じゃあ、お相子ですね」

 葉月が頭を上げると、翔はニッと笑っていた。

「そうだね」

葉月も翔と一緒になって笑った。

「こんなところで話すのも何だし、家入る?」

「じゃあ、少しだけお邪魔します」

 葉月の部屋に入ると、翔はいつものようにテーブルの前のソファに座った。

翔はこの部屋に入るのに慣れたのか、前よりも余裕のある顔をしている。

 葉月は冷蔵庫からお茶を出し、氷をたくさん入れたコップにカラカラと音を立てながら注ぐと、翔の前にあるテーブルの上に置く。

 翔は喉が渇いていたのか、お茶を一気飲みをし、コップの中はすぐに空になった。

 それも無理はない。なにせ真夏の、暑い外の中に長い間いたのだから。葉月はそれが自分のせいだと思うだと何だか申し訳なくなった。

「おかわりいる?」

「お願いします」

 葉月は再び翔の前にお茶を入れたコップを出した。

 次はコップの中のお茶を半分ほど飲んで、テーブルの上に置いた。

 葉月はそんな翔のことをじっと見つめた。

「何ですか?」

「お手」

 葉月が掌を翔の前に出すと、翔も何の躊躇いもなく犬のようにお手をした。

「ちょっと葉月さん! それはもうやめてくださいって前に言いましたよね」

 翔は下を向いていたが、雰囲気で怒っているのがわかった。

「ごめんごめん。翔がお茶を勢いよく飲んでる姿を見たら、ハルが水飲んでた時を思い出して、ついまたやりたくなっちゃった」

「だから、俺はもうハルじゃないんですから。そう言うのは絶対にやめてください」

「はい」

 葉月は反省をしたふりをしつつ機会があればまたやろうと企んでいた。翔はまたやられるのではないかと葉月を警戒しているように見えた。

「テレビでも見よっか」

翔の警戒心を解くために、葉月はテレビをつける。

 テレビではまた不倫の報道がやっていた。

 葉月と翔はその報道を見た瞬間、お互いにまるで何かに縛られたように体が硬直した。

 タイミングが悪いにも程がある。

「ごめん。変えるね」葉月はそう言ってすぐに別のチャンネルに切り替えた。

 別のチャンネルではバラエティ番組がやっていて、葉月と翔はようやく安心してテレビを見た。

 先程の報道のことを触れてはいけないと思っているのか、翔は何も言ってこなかった。

 葉月は今日のことを翔に言うべきか悩んでいた。

月野の浮気は誤解かもしれないと言うことを。

もし本当にそうなら、父も同じかもしれない━━。

それは半分そうであってほしいと言う希望も込められていた。

 これまでは絶対的に不倫をしていると決めつけていたわけだが、当の本人に確かめもしてないため、本当に浮気をしているかどうか定かではない。

言わば、朱里と葉月は同じなのだ。どちらも確かめもせずに相手を悪者だと決めつけ突き放した。

 しかし、父は莉乃と実際にキスをしている。それでも不倫をしていないと言えるのか。

 葉月は自問自答を繰り返したが、結局解決はしなかった。

「ハハッ。この人面白いですね」翔はテレビを見て笑いながら言った。

「そうだね」

「葉月さん、何か上の空じゃないですか? もし何か言いたいことがあるなら、遠慮なく言ってくださいよ」

 翔は人の変化に敏感だ。様子がおかしいと思ったら、今みたいにすぐに話しかけてくれる。だから翔にごまかしは利かない。

葉月はそう思って今日のことや、月野と朱里のことを一から翔に話した。

 翔は頷きながら静かに葉月の話を聞いていた。

「━━と言うことなんだよね」全てを話し終えた葉月が言った。

「なるほどなあ。だから葉月さんも、お父さんが不倫していることは誤解かもしれないって、思うようになったって言うことですか?」

「うん。まあ、ありえないんだけどね。キスしてたから」

「でも、少しは、俺と一緒に山梨に行って、お父さんと話す気になったんじゃないですか?」翔は期待するように言った。

「ごめん。そこまではまだいかない」

「なんだ、結局そうなっちゃうんですね。でも、俺は葉月さんが行く気になってくれるまで待つって決めたし、そこは安心してください」

 翔の言葉通り、葉月は安心していた。

 本当はこのままではいけないと自分でもわかっている。父と話すことができないこの状況を何とかしなければならない。いつまでもこの状況でいていいわけがない、と。

 でも意地っ張りな性格が邪魔をして、なかなか素直にはなれない。

「翔、私あの人に会ってもちゃんと話せるかな?」

「え? やっぱり会う気になったんですか?」翔は驚きながら言った。

「え、いや、だって━━会っても話せなかったら意味ないじゃん」葉月がそう言うと、翔は大きく溜め息をついた。

「全く、葉月さんもまだまだ子供ですね」

 図星を突かれた。自分だって子供ではないか、と言いたくなったが少しでも大人の余裕を見せるために、葉月はグッと堪えた。

「俺がいるから大丈夫ですよ」翔はとびきりのキメ顔で言った。

 一体どこからその自信は出てくるのだろう。でも、葉月はその翔の言葉に救われた気がした。
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