昔飼ってた犬がイケメン男子高校生になって会いにきた話
葉月と朱里は休憩室でお昼を食べていた。

朱里は最近ダイエットを始めたらしく、炭水化物抜きのお弁当をゆっくり噛んでから飲み込んでいる。

「朱里さん、急に何でダイエットなんて始めたんですか?」

「私たちってデスクワークじゃない? ずっと座ってばかりであまり動くことがない。それなのに、今の彼氏と付き合ってからと言うもの、幸せ太りって言うの? 動かない割に、前よりもご飯を食べる量だけが増えちゃって、見事にこの有様」

 朱里は服の上から自分の腹の肉を掴んで葉月に見せた。

 確かに、以前より朱里は見た目が少しふっくらしてきたかもしれない。

「そんなに太っているようには見えないですけど」葉月は朱里に気を遣って言った。

「お世辞は無用。あー、ジムにでも通おうかな」

「元々細身なんだから、少しくらい太っても朱里さんなら大丈夫ですよ」

「甘やかさないでよ。私はタケルのために頑張る」

朱里は既にやる気満々だった。

「タケルに幻滅されちゃったら嫌だもん。他の女にとられたくない」そう言っている朱里はなぜか哀愁漂っていた。

 やはりまだ月野のことを引きずっているのかもしれない。朱里に月野のことを訊くなら今がチャンスだ。

「朱里さん、よかったら、昔朱里さんと月野さんの間に何があったのか、詳しく訊いてもいいですか?」

「え? 何、急に……」

 朱里は驚いた顔で葉月を見た。

「朱里さん、前に月野さんと付き合ってたって聞いて、それでずっと気になってたんです。月野さんは浮気するような人に見えないし、本当に浮気なんてしたのかなって」

「ああ」

 すると朱里は手に持っていた箸をテーブルに置き、物思いに耽るように目の前のお弁当箱を眺めた。

「そんなこと知ってどうするの? 今はタケルと上手くいってるし、もう終わったことだよ」

 月野のことを話すのが嫌なのかもしれない。浮気されたなんて辛い過去を話すのは誰だって嫌に決まってる。

でも、訊かないと朱里や月野、そして自分のためにもならない気がした。だから、嫌がられても訊くしかない。

「そうですよね。もう終わったことなんて話したくありませんよね。でも、お願いです。話してください。本当のこと言うと、私も朱里さんと同じなんです。だから話してもらえませんか?」葉月は朱里の目を見て必死に訴えた。

 朱里は怪訝そうな顔をした。

「どう言うこと?」

「父親が、浮気をしている現場を見たんです。その現場を見たのはもう何年も前のことで、今もしているかは分からないんですけど。私はそれが原因で、父親ともうずっと口を利いてないです。だから、朱里さんと月野さんに昔何があったのか聞いて、それをきっかけに前に進みたいんです」

「そう……なんだ」

 朱里は初めて聞く葉月の秘密に触れ、少し戸惑ったように見えた。

「ごめん、そう言うことなら話すよ。私の話を聞いて、葉月が本当に前に進めるかどうかは分からないけど、それで葉月のためになるなら話させて」

「ありがとうございます」

 葉月は心して話を聞く姿勢になった。

「月野と同棲してた時ね、有給休暇を使って友達と旅行に行ったんだ。もちろん、そのことは事前に月野に伝えてたよ。旅行は楽しかったんだけど、突然、友達の職場から電話がかかってきて、東京に帰らないといけないって言われたの。仕事の都合だったから仕方ないと思って、私も一緒に東京に帰ったんだ」

「それは残念でしたね」

「うん。当初の三泊四日の予定が二泊三日に変更になったから、月野に何も言わず急に帰ってびっくりさせてやろうと思って、連絡は何もしなかったんだ。それで家に帰ったんだけど、月野はいなくて、残業でもしてるんだろうなって思ったから、ご飯でも作って待ってることにしたの。でも冷蔵庫の中は何もないし、買いに出るしかなくて、近くのスーパーまで歩いて行くことにしたのね。それからしばらく歩いてたら、その途中で見覚えのある後ろ姿が目に入ったんだよね」

 もしかしたら次にとんでもないことを言われるのではないかと言う緊張から、葉月は固唾を呑んだ。

「それは案の定、月野だった。その隣には見知らぬ若い女がいて、笑いながら楽しそうに腕を組んで歩いてた」

 葉月は驚きのあまり、「えっ」と声を上げていた。

周囲にいた人たちは全員驚いた顔で葉月に注目している。

それに気づいた葉月は、思わず自分の口を塞いだ。葉月の代わりに朱里が「すみません」と周囲の人に謝った。

「それで、どうしたんですか?」

「もう目の前の光景が信じられなくて。しばらくその場で立ち尽くしてた。でもすぐに我に返って、スーパーに行くのをやめて、家に帰ることにした。帰った後、もうここにはいられないって思ったから、旅行で使ったキャリーケースをそのまま持ってホテルに直行したよ」

「そうだったんですね━━」

 朱里にかける言葉が見つからなかった。

でも、月野は浮気をしていないと、あの日はっきりと葉月に言っていた。

月野が嘘をついているのか、それとも朱里の何かの見間違えなのか、すぐに判断することは葉月にはできなかった。

「何で月野さんを問い詰めなかったんですか?」

「私のことだけを見てくれてるんじゃないんだって思ったら、話す気にもなれなかった。て言うか、話しても意味ないと思った。だってもうあいつとは未来がないと思ったから」そう言うと朱里は再び箸を持ち、お弁当を食べ始めた。

 その時、休憩室の扉が開く音がした。

出入り口を見ると、コンビニのビニール袋を片手に提げた月野とランチバッグを持った早坂が辺りを見回していた。

噂をしているとすぐにやって来るのが月野慶と言う男なのかもしれない。

しばらく見ていると、葉月と朱里が座っているテーブルに気づき、すぐにこちらにやって来た。

「座るとこ他にないし、俺らもここで食べるわ」

「勝手にすれば?」朱里が冷たく月野に言い放った。

「あー、はいはい。そのお言葉通り、勝手にします」

月野はもう慣れている、とでも言うように平気な顔をして、葉月たちのテーブルの向かいに座った。

早坂も月野に続いて座ると、無言で葉月に微笑みかけた。

 周りは賑やかだけど、自分たちのテーブルだけ静かだ。ひたすら気まずい。先程月野の話をしたばかりだから尚更だ。

月野と朱里の冷戦状態が続く中、葉月と早坂は冷や汗をかきながらその場にいた。

 そんな重たい空気に耐えられなくなった葉月は「そう言えば月野さん、結局ジムには行ったんですか?」と口火を切った。

「行ったよ。今は週三で通ってる。あれはマジでストレス発散になるわ」

「週三も行ってるんですか? すごい。いいですね」

「だから長谷川もジム行けばいいのに。痩せるよ?」

「私は遠慮しておきます」

「ハハ、長谷川さんはジムに行かなくても別に痩せてるよね」早坂が言った。

「そんなことないですよ。本当は痩せたいんですけど、運動苦手だから━━そう言えば、朱里さんもさっきジムに行きたいって言ってましたよね」

 葉月が朱里に話を振ると、不機嫌そうに見えるけど、何とか平静を保っているように見えた。

「うん」

「佐藤も? 何で?」月野が朱里に訊いた。

 朱里は何も言わない。

再び重たい空気が流れそうになったため、代わりに葉月が答えることにした。

「あー! 朱里さんも痩せたいんですよね」葉月がそう言うと、朱里は無言で頷いた。

「へえ、佐藤さんもなんですね」

 月野と朱里のやり取りを見ていると本当に冷や冷やする。きっと早坂も同じに違いない。

 その時、誰かのスマートフォンから着信音が鳴った。

「あ、電話だわ」そう言うと、月野が立ち上がり、休憩室から出て行った。

「さて、そろそろ昼休み終わるし戻ろうかな」朱里はそう言うと席を立った。

「え、朱里さん、もう行くんですか?」

「うん」

それを聞くと、仕方なく葉月も朱里の後に続けて立った。

 早坂はこちらを見ながら笑顔で、「じゃあまたね」と言った。

 葉月は月野にもことの経緯を聞きたかったが、今は朱里と早坂もいるため、訊くに訊けないでいた。

また次の機会にしよう。

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