めぐる月日のとおまわり
「いらっしゃいませー」
凛ちゃんは持ち場にもどって挨拶をするが、わたしはひゅっと息を詰めた。
たよりない唇を、二、三度ふるえさせただけで、口をつぐむ。
年齢は推定で二十代前半、半ば、そして三十代。
カウンター前にやってきたのは、二十代半ばの男性だった。
「俺、まとめて買います。向川さん、コーヒーでいいですか? 中井くんもコーヒーでいい?」
向川と呼ばれた男性はうなずいて、先に客席へと向かい、中井という若い男性のほうは恐縮したように、彼とカウンターの間に割り込もうとする。
「俺が買います!」
「いいよ、そういうの。邪魔になってるから、先に座ってて」
かろやかに笑って中井さんをいなし、その背中を押しやった。
そうして彼は、ひとりでわたしの前に立つ。
「……いらっしゃいませ。お召し上がりでよろしいですか?」
ポツリとこぼすような声は、店員のそれではない。
頬の筋肉は固まり、顔は自然と下に向いた。
上目遣いでうかがうわたしを見ず、彼はメニュー表に視線を落としている。
「ホットコーヒー……もいろいろあるんだな。すみません。詳しくなくて」
「いえ」
照れたような笑顔で、男性はこちらを見た。
わたしの鎧同然のものとは違い、なんのてらいもない笑顔だった。
彼はすぐにまたメニューに視線をもどす。
「人気なのはどれですか?」
「……オリジナルブレンドを、ご注文される方が多いです」
わたしの提案にひとつうなずいて、しかしメニューの別の一点を指差した。
「この“日替わりコーヒー”って何ですか?」
わたしはカウンター横に展示してある豆を示す。
「本日は“マンデリン・ブレンド”でございます」
「へえ、聞いたことないな」
「酸味が少なく苦味が強めで、比較的飲みやすいかと思います」
「好きですか?」
言われたことの意味がわからず、わたしが男性の顔を見ていると、彼はおだやかな表情でもう一度問いかけた。
「この“マンデリン?・ブレンド”、好きですか?」
カウンターの下で、わたしはそっと手を握りしめる。
「……はい。すきです」
「だったらそれにします。三つ」
笑顔で三本指を立てる彼の手に、もうあのときの傷痕は残っていない。
「かしこまりました。……日替わり三つお願いします」