めぐる月日のとおまわり
「『忙しくて会えない』っていうのが、嘘じゃないってわかってるから」
「すみません。要領が悪いんです」
四月の研修期間はまだよかった。
多少無理をしても、高いモチベーションでがんばれた。
でも実務に入ると、右と左しかわからないまま、一人前の仕事を割り振られる。
ひとつひとつこなして行くのを待ってくれるほど、世の中はのんびりしていない。
同時進行でこなさなければならない仕事を抱え、それでも毎日イレギュラーな出来事が起きて、その都度優先順位が変わっていく。
精一杯やっているのに減らない仕事に、体力も精神も消耗していった。
平日はもちろん、土日でさえデートのお誘いに応じる余裕がなくて、もうこのまま会えないかもしれないと、何度も泣いた。
それでも動けないほどに疲れていた。
「新入社員なんて、だいたいそんなもんでしょ。うちの会社でもそうだから」
「他のひとはもっと要領よくやってます」
「そのうち力の抜き方がわかってくるよ。俺も最初の半年は、無我夢中で記憶ない」
それは事実かもしれないが、今のわたしには、慰めるためだけの嘘にしか聞こえなかった。
「だって、わたしはそのころを知らないもの。最初から大人で、余裕あって、ちゃんと社会人だった!」
「お! すごい高評価」
「もっと動揺したり、失敗したりしてほしい」
「そんなに立派じゃないけどなあ、俺」
コンビニには寄ったものの、ほとんど遠回りすることなく、車はわたしの自宅前に着いた。
ためらうわたしに「着いたよ」と降りることを促す。
「土日はちゃんと休んでね。あと、『すみません』は聞き飽きたから、それより帰宅時間教えて。またデートしよう」
返事もできずしかめっ面で立っていたら、また笑われた。
「いやじゃないよね」
容易く切れるわたしとの糸を、ていねいにつないで引き寄せてくれる。
彼のその悪趣味に甘え切っていた。
手を離されたら身も世もなく泣くくせに、わたしはいつも、かわいげなく突っ立っているだけだ。
「じゃあ、またね」
サイドブレーキを踏むガチッという音に、疲れ切った脚が反応した。
開けたままの窓を掴んだら、進みかけていた車が大きく揺れて停まった。
「あの!……ありがとうございました」
「いえいえ。どういたしまして」
「それから、」
車の窓越しは思った以上に距離が近くて、彼の黒目が意外と大きいことまで見えた。
「………………来てくれて、うれしかったです。会いたかったので。……とても」
青々としたイチョウの葉が、夜風にあおられ音を立てる。
身体に響くこの揺れは、手を通して感じる車のエンジンなのか、破裂しそうな心音なのか。
「ああ、うん」
彼はめずらしく歯切れ悪く、うつむいてポツリと言った。
「そう、言ってくれるだけで、十分、です」
彼は出会ったときから大人で、余裕あって、ちゃんと社会人で。
でもまだまだ知らない一面のある、いとしい男のひとだった。