めぐる月日のとおまわり
七月 来訪者
「ただいまー。あーあ、やっぱりか」
仕事を終えて帰ってきた碧は、部屋に入るなりわたしを見てそう言った。
「『やっぱり』ってなによ」
シンク下の扉に背をあずけ、うずくまったままわたしは訊いた。
「暑っ~~」とワイシャツを脱ぐと、碧の体温で部屋の気温が上がったような気がした。
「いやなこと、あったでしょ?」
金曜日の今日、定時に仕事を終えられたわたしは、碧の部屋で一緒に夕食を食べる約束をした。
味噌煮にしようと鯖を買って、まずお味噌汁の出汁を取っていたとき、チャイムが鳴った。
『誰だろ?』
リビングにあるインターホンより玄関ドアの方が近いため、わたしはドアスコープから外をのぞいた。
そこにいたのは、ブルーのサマーニット姿の女性だった。
少し緊張した面持ちで、何度か前髪を直している。
最近わたしの家に、保険のセールスレディが頻繁に訪れていたこともあって、勝手にセールスだと思い込んだのが失敗だった。
つい、ドアを開けてしまった。
『はい。どちら様ですか?』
半分以上断り文句を用意して出たわたしを見て、彼女は絶句して何も言わなかった。
そう、何も言わなかったのだ。
数歩後ずさり、そのまま走って帰っていった。
わたしはその遠ざかるヒールの音を聞いていた。
ちいさな蛾が一匹、開けっ放しのドアから入り込んだけれど、動くことができなかった。
あれが元カノだという直感は、絶対間違っていない。
「『いやなことがあった』って、なんで知ってるの?」
シンクで手を洗い、碧は麦茶の最初の一杯をひと息に飲んだ。
「隠して拗らせたくないから正直に言うと、本人から聞いた。俺のところにも来たの」
「会社?」
「そう」
麦茶をもう一杯注ぐと碧も床に座り、膝に顔を埋めたわたしごと腕の中に包み込む。
暑くてベタベタして汗臭いけれど、ふり払おうとは思わなかった。