めぐる月日のとおまわり
「でも、それだけだから」
「『それだけ』って何?」
うずくまったままのわたしの声は、ひどくくぐもっていた。
「『それだけ』は『それだけ』だよ。何もない。ちょっと話して帰って行った」
「わざわざ訪ねて何の話?」
「近況報告。ドイツに留学してたから」
身じろいでも、わたしを抱き締める腕の力は弱まらない。
ちびりちびり飲む麦茶が、彼の喉を落ちていく音さえ間近に聞こえる。
「ドイツ?」
「パン作りの修行に行ったんだ。パンを作るのが上手なのはもちろん知ってたけど、まさか職人になりたいとは思わなくて、ある日留学を理由にフラれた」
ことさらつまらなそうに話すのは、わたしに心配かけないための演技でもあるのだろう。
碧の本心は、碧にしかわからない。
「フラれたの?」
「そうだよ」
「だったら、未練あるでしょ?」
「そんなわけないだろ」
「でも、彼女はやり直すつもりで来たんでしょう?」
言葉に詰まるということは、そういうことだ。
思えばずいぶんかわいらしい格好をしていた。
耳元で揺れるゴールドのピアスが、よく似合っていた。
対するわたしはTシャツにハーフパンツという、パジャマのほうがかわいげあるくらいの、ひどいナリだった。
「別れて二年以上経ったら、普通は家に来たりしないよね」
「そうだな」
「前から連絡取ってたんでしょ?」
「昨日二年ぶりに連絡がきて、あいさつ程度のやり取りしただけだって。疑うならメッセージぜんぶ見ていいよ、ほら」
携帯電話が腕に当たる感触があるけれど、わたしは顔をあげなかった。
「相手がどういうつもりだろうが、俺にそんな気はない」
「いいんだよ、わたしに遠慮しなくて。わたしはまだ若いし、きっとこれからいくらでもあたらしい恋ができる」
「心にもないこと言うなって」
「心にあるもん」
霊魂ごと吐き出したような深いため息が、わたしの頭にぶつかった。
今度こそ呆れられる。
嫌われる。
わかっていても負のループに陥った思考回路からは、容易に抜け出せない。
「彼女が留学しなかったら、別れなかったでしょ?」
「さあ、どうかな」
「わたしと付き合ってなかったら、ヨリを戻したでしょ?」
「さあ、どうかな」
「わたしのこと、面倒くさい女だと思ってるでしょ?」
「ああ、それは思ってる」
顔を上げてにらんだら、やさしく細められた目と目が合った。
碧の指がわたしの前髪を掻き分ける。
「そんな格好してるから、ここ赤くなってる」
おでこに触れた唇は、麦茶を飲んだせいで冷たい。