めぐる月日のとおまわり
「仮定の話しても仕方ないでしょ。現実は変わらないんだから」
「そうだけど! 本心はわからないから」
「本心? 本心なら、俺は今のままでいい。なんでそんなに気にするのかな」
本当はわかってる。
心の底では、このひとを疑ったりしていない。
もし心変わりしたなら、きちんと話して何度も何度もあやまって、けれど取りつく島もないほど決然と、わたしの元から去っていくようなひとだ。
だからこんなに落ち込むのは、ぜんぶわたしの問題。
「……ずっと、コンプレックスで」
はじめて会ったときも、その後再会したときも、碧のそばには“彼女”がいた。
当たり前のように愛される彼女がうらやましくて、妬ましくて。
その気持ちはやけどの跡のように残って、わずかな雨でもじくじく痛む。
「コンプレックスなら、俺だってある」
碧はわたしの首の右後ろを、人差し指でとんとんと示した。
「はじめて会ったとき、ここにキスマークついてた」
「うそっ!」
「気づかないフリしたけど、しっかり見たから覚えてる。白状すると、首筋見るたびにちょっと思い出す」
何年も前の跡を消すように、皮ごと削り取るつもりでゴシゴシとこすると、碧がその手を止めた。
「赤くなるよ」
そしてふっと屈むと同時に、痛みが走った。
「痛い!」
「このほうが早い」
「ちょっと! ばかじゃないの!」
「まあ、土日の間に消えるよ、たぶん」
「その間は? いかにも『キスマーク隠してます』って絆創膏貼るの!?」
「最初に見えるところにつけられた方が悪い」
碧は立ち上がって、わたしの手を引く。
「おあいこだから、これでこの話はおしまい」
「どこが『おあいこ』なのよ……」
碧の手にあるグラスを奪って、残っていた麦茶を飲み干した。
ぬるいお茶でも、頭が少し冷静になる。
「腹減ったな」
何もないキッチンを見ながら、碧がつぶやいた。
「……出汁は取れてます」
「弁当でも買ってくるよ」
お財布を持って玄関に向かう、その後ろをついていく。
「碧」
「なに?」
「そこに蛾がいるから取って」
「あ、本当だ」
碧はほうきで蛾を追い詰め、玄関から追い出した。
ちいさな黒い来訪者は、“彼女”と同じ方向に飛び去っていく。
「碧」
「なに?」
「彼女と出会う前にわたしと出会ってたら、わたしを選んでくれた?」
愚かついでに投げかけた愚かすぎる質問に、碧はちょっと考えて「いや、無理」とスニーカーに足を入れる。
「だって、そのときまだ中学生でしょ?」
尖らせたわたしの唇を、指でふにふに弄ぶ。
「俺は今のままがいい」
毒気をすべて抜き取るような笑顔を残して、「いってきます」とドアを開ける。
「いってらっしゃい。お味噌汁と鯖の塩焼きは用意しておくから」
閉まるドアの隙間から、ひらりと手をふる姿が見えた。