めぐる月日のとおまわり
冷えて少し赤くなった指先をコートのポケットに突っ込むと、手に携帯電話ともうひとつ何かが当たる。
それを引っ張り出し、しばし逡巡したあと、彼女はそれを男性に差し出した。
「よかったら、どうぞ」
手にティッシュをあてたまま男性は視線を向け、あいまいな表情でためらう。
「すみません。これしかなくて。コンビニで絆創膏買うまでのつなぎに……」
言いながらすでに後悔していた。
二十代の社会人男性が魔法少女の絆創膏など、血を流しているより恥ずかしいかもしれない。
四歳の姪っ子が宝物を分けてくれたのだが、彼女でさえ使いにくくて、ポケットに入れたままになっていたものだった。
いくぶんよれて、少し折れてもいる。
いまさら引っ込めることもできず、気持ちを重くしている彼女の手から、その絆創膏が引き抜かれた。
「ありがとうございます」
男性はふっと笑って「かわいいですね」と言う。
傷は思ったより深いのか、ティッシュをはずすとまだ血があふれてくる。
左手一本で四苦八苦する彼の手から、彼女は魔法少女をさらった。
「わたしが貼ります」
「すみません。お願いします」
笑顔の魔法少女はすぐ真っ赤に染まったものの、外に血が漏れ出ることは防いでくれた。
「似合いますか?」
「似合いません」
男性は笑って、血のついたティッシュをポケットにしまう。
「これ何ていうキャラクターなんですか?」
「わたしも名前までは……。姪っ子からもらったので」
「ああ、どうりで」
彼の声や態度からは、さっぱりと洗いあがったリネンのような、お日さまと風の気配がした。
後ろめたいところのない、健全な存在感。
その目を見ていられず、彼女はそっと顔を伏せた。
風が強くなり、貧弱な壁が悲鳴をあげる。
割れ目から入った雪は、地面に降りると同時に泥に飲み込まれていく。
「……はい、もしもし」
風の音に混ざって、ブゥーン、ブゥーンというバイブ音がしたかと思うと、男性が電話に出た。
「今はまだ出先。一回職場にもどってから、今日はもう帰るよ」
電話の向こうから女性の声がしたような気がして、彼女はベンチを立った。
道路の先に目を凝らすと、雪の向こうにバスのライトが小さく見える。
けれど、時間から考えて彼女の乗るバスではないだろう。
「……外にいる。風強くてよく聞こえない」
ポケットの中で、彼女は電話を握りしめる。
肌身離さず持っているそれは、犬につける鎖と同じようなもので、あんなに気軽には使えない。
「うん、大丈夫。ありがとう。またあとで」
電話を切りながら、男性は彼女の隣に並んだ。
バスはひとつ前の信号で停まっている。
「奥さんですか?」
立ち入ったことを聞いてしまったと、彼女は二度目の後悔をした。
しかし男性は「いや、彼女」とさらりと答える。
当たり前に存在するものを当たり前に認める、自然な声だった。
「だったら、忙しい季節ですね」
通りの向かいにある銀行には、大きなツリーのイルミネーションが施されていた。
彼女の視線をたどってそれを見た男性は、「ああ、そうですね」と言う。
「でも、もう付き合い長いから、たいそうなことはしないです」
この人にとって、それは特別でも何でもないことなのだ。
『彼女』だと公言すること、したい時に電話できること、一緒のクリスマスをくり返し迎えること。
ただ消耗されるだけの彼女にとって、それらはどんなに欲しても手の届かないものなのに。
それを引っ張り出し、しばし逡巡したあと、彼女はそれを男性に差し出した。
「よかったら、どうぞ」
手にティッシュをあてたまま男性は視線を向け、あいまいな表情でためらう。
「すみません。これしかなくて。コンビニで絆創膏買うまでのつなぎに……」
言いながらすでに後悔していた。
二十代の社会人男性が魔法少女の絆創膏など、血を流しているより恥ずかしいかもしれない。
四歳の姪っ子が宝物を分けてくれたのだが、彼女でさえ使いにくくて、ポケットに入れたままになっていたものだった。
いくぶんよれて、少し折れてもいる。
いまさら引っ込めることもできず、気持ちを重くしている彼女の手から、その絆創膏が引き抜かれた。
「ありがとうございます」
男性はふっと笑って「かわいいですね」と言う。
傷は思ったより深いのか、ティッシュをはずすとまだ血があふれてくる。
左手一本で四苦八苦する彼の手から、彼女は魔法少女をさらった。
「わたしが貼ります」
「すみません。お願いします」
笑顔の魔法少女はすぐ真っ赤に染まったものの、外に血が漏れ出ることは防いでくれた。
「似合いますか?」
「似合いません」
男性は笑って、血のついたティッシュをポケットにしまう。
「これ何ていうキャラクターなんですか?」
「わたしも名前までは……。姪っ子からもらったので」
「ああ、どうりで」
彼の声や態度からは、さっぱりと洗いあがったリネンのような、お日さまと風の気配がした。
後ろめたいところのない、健全な存在感。
その目を見ていられず、彼女はそっと顔を伏せた。
風が強くなり、貧弱な壁が悲鳴をあげる。
割れ目から入った雪は、地面に降りると同時に泥に飲み込まれていく。
「……はい、もしもし」
風の音に混ざって、ブゥーン、ブゥーンというバイブ音がしたかと思うと、男性が電話に出た。
「今はまだ出先。一回職場にもどってから、今日はもう帰るよ」
電話の向こうから女性の声がしたような気がして、彼女はベンチを立った。
道路の先に目を凝らすと、雪の向こうにバスのライトが小さく見える。
けれど、時間から考えて彼女の乗るバスではないだろう。
「……外にいる。風強くてよく聞こえない」
ポケットの中で、彼女は電話を握りしめる。
肌身離さず持っているそれは、犬につける鎖と同じようなもので、あんなに気軽には使えない。
「うん、大丈夫。ありがとう。またあとで」
電話を切りながら、男性は彼女の隣に並んだ。
バスはひとつ前の信号で停まっている。
「奥さんですか?」
立ち入ったことを聞いてしまったと、彼女は二度目の後悔をした。
しかし男性は「いや、彼女」とさらりと答える。
当たり前に存在するものを当たり前に認める、自然な声だった。
「だったら、忙しい季節ですね」
通りの向かいにある銀行には、大きなツリーのイルミネーションが施されていた。
彼女の視線をたどってそれを見た男性は、「ああ、そうですね」と言う。
「でも、もう付き合い長いから、たいそうなことはしないです」
この人にとって、それは特別でも何でもないことなのだ。
『彼女』だと公言すること、したい時に電話できること、一緒のクリスマスをくり返し迎えること。
ただ消耗されるだけの彼女にとって、それらはどんなに欲しても手の届かないものなのに。