催花雨
「先生! これは表の馬車に積めばいい?」

 不意に明るい声が男の思考に割って入った。木箱を抱える腕で押し開けた扉から、この店の娘が顔をのぞかせている。

「ああ。いや、自分で運……」

 荷物を受け取ろうと手を伸ばしたが、空を切る。

「いいの、いいの。あたし、きっと先生より力があるわ」

 抽出に使う酒や油が入った瓶などだ。それなりに重いはずの箱を、娘は細腕で軽々とかかげてみせた。

「あと、酢漬けも入れておいたわ。前にあげた分がそろそろなくなるころでしょう?」
「それは助かる。あれがあると、メシが進むんだ」

 もちろんそのままでもうまいが、細かく刻み、肉を焼いたときに出る油で炒め、からめて食べるのもいい。冬のあいだの貴重な食料となっていた。

「なくなったら言って。いつでも届けるから」

 器用に片目をつむってみせた娘の姿は扉のむこうへ消え、戻ってきた店主が封書を、ついと男の前まで滑らせた。

「また王都からだよ。恋文かい? ずいぶんとご執心じゃないか」

 裏にある封蠟印は鷹の羽。それを見れば、色めいた便りでないことはわかっているはずなのだが……。

「戻るんじゃないだろうね」

 封を開けずに手紙を懐にしまう男に、店主は眉根を寄せて尋ねる。
 それに小さく首を横に振って答えると、店主は大きくうなずいた。

「それがいい。軍医なんて、いつ戦場に駆り出されるかわかったもんじゃないさ。あの子がまた独りになっちまったら、かわいそうじゃないか」

 男の眼裏に、戦死した兵士の遺品を届けに行った家の中で、寝台に横たわる母親の手を握って息を吹きかけていた子どもの姿が浮かぶ。いくらがんばっても、氷のように冷たくなったそれに、再び血が通うことはなかった。

「それにさ」

 少々色をつけて渡した代金をかぞえながら、店主はにやりと口角をあげる。

「おまえさんみたいなコブ付きでも、この村にとっちゃあ貴重な男手なんだよ。そうだ! 来月の祭りなんだけど――」
「雲行きが怪しくなってきた」

 長くなりそうな話を、鞄を持ちあげて遮る。実際、窓から射し込む光はいっそう弱くなっていた。
 挨拶もそこそこに店を出ようとした男の足が止まる。

「よくできてるだろう。三日前に都から来た行商人が置いていったんだよ。土産にどうだい?」

 彼の視線の先に気づいた店主がすかさず売り込みを始めたので、品と引き換えに数枚の硬貨を棚に置き、今度こそ扉を開けた。
 表では、雑貨屋の娘が馬車に繋がれた馬を撫でていた。
 二言三言交わし帰路につく。
 風が湿った土の匂いを運んくる。雨雲はすぐそこまで来ているようだ。

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