催花雨
 家の前で、子どもが鈍色の雲に覆われた空を見あげていた。

「なにをしているんだ。降ってくるぞ」

 いつもなら声をかける前に荷下ろしを手伝いに走ってくるのだが、今日はそれがない。
 いつもと違うようすに男が近づくと、上を向いたまま瞬きをひとつした子どもの顔に雨粒が落ちた。

「……鳥が」

 水滴が涙のように頬を伝う。

「洗濯物を……雨が……戸……忘れて……」

 雨が地面に模様を描くように言葉をこぼす。
 ヒバリは天候など気にせず、久しぶりの空へ飛び立ったのだ。

「しかたない。いつかは返す約束だっただろう」

 名前をつけなくても情は移る。覚悟していたとはいえ唐突に訪れた別れを慰めようと手をのばす。
 男の指先が震える肩に届く寸前、子どもはごしごしと拳で頬をこすった。

「これでよかったんだ。もとの生活に戻れたんだから。それが医者の仕事なんでしょう?」
「ああ、そうだな」
「雨、だいじょうぶかな」
「いくらでも雨宿りできる場所はあるさ」
「……家族に会えたかな」

 男は、遠い空を見やる子どもの視界の邪魔をする、湿気を含んで重たくなった前髪をすくった。
 急にひらけた視界を不思議そうにして、子どもがおそるおそる頭を触る。硬い感触をみつけてむしり取った。
 開いた手の中にあったものは髪留めだった。

「これ……」

 さきほど男が雑貨店で買い求めたものだ。銀色のサンザシの花がついている。

「会えなくてさみしくなったら、新しい家族を作ればいい。まあ、まったく同じようにとはいかないだろうが」

 しりすぼまりに早口で言うと、馬の(くつわ)をとった。
 本格的に降り出した雨は、とうぶん止みそうもない。

「ほら、早く中へ入れ。風邪ひくぞ」

 馬を連れ納屋へとむかう男を、走って追い越した子どもが振り返った。

「生姜湯を作っておくね!」
「生姜の量を間違えるなよ」
「はちみつ、たくさん入れてももいい?」
「好きにしろ」

 急かすように手を振ると、どこで覚えたのか「了解」と右手をあげて敬礼をする。
 そのぴんとのびた指の先で、一足先に咲いたサンザシが雨滴をまとう。
 どこかからさえずりが聞えた。

 ―― 完 ――
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