泡沫〜罪への代償〜
第三章
清水 アカリ(前編)
張り出されたテストの順位表を見て、私はニヤつきを隠すように口元に手をやる。
「やっぱりアカリ1位じゃん!さすがー!」
クラスメイトに言われて、口元を隠しながら驚いてるフリをする。
「まぐれだよ、ビックリしちゃった」
と口は言ってるけれど、当たり前なんだよ!と内心は思っている。
1位を保つためにアンタたちより私がどれだけ努力してると思ってるわけ?
「生徒会役員だし陸上部のエースだし、美人だしアカリには敵わないよね」
隣にいるもう1人のクラスメイトと言っている。
もっと褒めなさいよ。私とアンタたちとは人間としての作りが違うんだから。
「いやいや、美人なんかじゃないよ。テストも今回は結構頑張ったから。陸上は田舎に住んでるから脚力ついてるのかな?」
謙遜しながら小声で言って少し笑う。
「アカリの家って病院なんでしょ?アカリも将来お医者さんになるの?」
廊下を歩きながらクラスメイトに言われる。
「お父さんは田舎でみんなを助けているから、私もなれるならなりたいなー」
笑顔で答えると、「アカリならなれるよ!」と盛り上がる。
絶対に医者になるわよ。あんな父親なんかより優秀な医者に。
昔から夢に見ていた。
『田舎でも最先端の医療を取り入れた救世主の清水アカリ医師です!』
と、テレビや雑誌がこぞって取材しにくる夢を。
だから、私は絶対になる。
あんな医者という肩書だけの無能な父親なんかより優秀で有名な医者に。
片道バスと電車を乗り継ぎ1時間かけて市内でも有数な進学校に入学した。
この学校は有名大学の合格者を多数出している。
田舎からの通学が辛いけれど、優秀な高校で結果を出して医学部がある有名大学に絶対進学するためだと思うと苦ではない。
今日のテスト結果に満足しながら1時間かけて帰宅すると、小さな診療所兼自宅の電気がまだついている。
診療所から入ると、ベッドには近所のオジサンがお腹を抱えてうめいている。
父親はしきりに電話口で市内の病院への搬送を依頼している。
父親はこの街に来る前、大学病院で外科医として多くの難しい手術をし、成功して雑誌にも出たことがある。
私は幼稚園や近所の友達に「うちのパパはすごいんだよ」と自慢をしていた。
私の小学校の入学に合わせて父がこの田舎の診療所に行くと聞いた時は「なぜ?」と子供ながら思った。
都会の大きなマンションに住んでいて、マンションには住人しか使えないプールまであるところだった。
だから何でそんな田舎に行かなければいけないのかがわからなかった。
父は幼い私の肩を掴んで笑顔で言った。
「田舎は満足に治療ができない人がたくさんいるんだ。お父さんはそんな人たちを助けたいんだ。アカリも困っている人がいたら助けたいよな?」
それを聞いて、お父さんはすごいし、カッコイイと思った。
でも、田舎ってコンビニすらロクにないのでは?公園は?習っているピアノは?と不安にもなる。
そんな私にキッチンにいた母が
「田舎に行くとね、今より大きい家に住めて、すごくいい車に乗れるのよ。少し不便だけど、私たちはお金持ちになるの」
と言った。
大きい家、いい車、お金持ち。
その言葉を聞いて私は田舎へ引っ越すことを少し楽しみに思った。
実際引っ越した家は広いけれど、古臭かった。
隣接して小さな診療所がある。
住人専用のプールはなく、近くの川で水遊びをするという。
大嫌いな虫も多く、コンビニは車で15分かかる。
お金持ちになったかは知らないけれど、私は心底ガッカリした。
それに反するかのように住民は「都会から優秀な医者がきた」と、診療所にこぞって人が集まり、どこが調子悪いだとかなんだとか言いながら連日、診療所はギュウギュウの特売スーパーのようになっていた。
父はそんな住民に対し精力的に治療をしていた。
そして圧倒的に医療器具や必要な薬がないから、国に何度もそれを打診していた。
けれど国の返事は冷たいもので「優秀な医者なんだからなんとかしろ」という回答だったようだ。
それでも諦めずに頑張って打診し続けていたが、数年経つと父は白旗をあげた。
自分ではどうにも出来ないと判断したら市内へ搬送することばかりをして、自分では風邪などの簡単な治療だけをするようになった。
あんなに輝いて見えた父が色褪せて、ただの「田舎の医者」にしか思えなくなった。
それと同時に軽蔑の感情も芽生えた。
私は父を見て医者になりたいと子供の頃から思っていたけれど、今は父なんかよりもずっと優秀な医者になってやろうと思うようになった。
有名な病院に勤務するのではなく、この田舎に最新機器を導入し設備もしっかりとさせ、ドクターヘリに頼ることなく、この場で手術も出来る医者になる。
私はそう思って必死に医者になるために努力をしているのだ。
学校では優等生を演じているのだからストレスが溜まる。
遊ぶところは学校帰りにあるけれど、「優等生」が遊び歩いているのが大学受験の時にひびいたら困る。
学校帰りの最寄りの駅の高架下に数人ホームレスが住んでいる。
ある日駅まで歩いていると、ホームレス1人がテントから出てきて目が合った。
50代くらいだろうか?華奢な身体をしていて膝に穴が開いたジャージを着ている。
「あ、ボランティアの方ですかね?」
そう言って私の手元を見る。
私は学校の友達が旅行に行ったお土産が入った紙袋を持っている。
ボランティア?紙袋の中身ほしいの?
ボランティアの人たちは彼らに食事や何かしら生活のために活動しているのだろう。
テレビで見たことがある。
ホームレスは困った顔をして私を見ている。
そして私はひらめいた。
「私はボランティアじゃないけれど、お手伝いできることはしたいと思っています。学校で買ったパンなんですけど、食べきれなくて。良ければもらってくれませんか?」
満面の笑みで言うと、彼は「ありがとうねー、お姉ちゃんありがとう」と何度も頭を下げた。
その日は本当に残してしまった菓子パンがあったから渡して帰った。
これからだ。
私のストレス発散はこれから始まるんだ。
それから何度か通い、スーパーで一番安い特売の60円くらいの6枚切りの角食を度々買っていった。
他のホームレスは、「今は」どうでもいい。この人が私に絶大なる感謝をするのがまずは目的だ。
「高校生のお姉ちゃんからパンをもらうなんて情けないけど、お姉ちゃんには頭があがらねーわ」
彼の言葉を聞いて、心の中でガッツポーズをした。
今度会う時が私のストレス発散の始まりだ。
何事も時間をかけてもいいから下準備は大切なのだから。
ストレス発散当日。
学校帰りに学校名が入っていない自分で買ったスポーツウェアに着替えた。
例によって角食を持参すると、待っていたかのように彼は目をキラキラさせた。
ここは最寄り駅の高架下。
ホームレスの住処だからボランティアなど以外近づきもしないだろう。
食パンの袋を開けようとする彼に私は言った。
「おじさん、食パンにジャム塗りたくない?」
「ジャム!?」
彼が驚いた声を上げたけれど、ここのホームレスたちの人数、特徴、どんな顔か、それぞれの活動時間帯は彼から聞いて把握している。
今は誰もいない。だからこの時間に来ているのだ。大声でジャム!?と言われても誰も出ては来ない。
「今日持ってきたんだけど、せっかくだから勝負しない?」
「勝負?」
私の提案に怪訝な顔をしている。
高架下の更に奥、人が絶対来なさそうな薄暗い場所を指さして、
「あっちで勝負やろうよ」
カバンの中からイチゴジャムの瓶を出して言うと、彼は頷いて私の後についてきた。
「で、お姉ちゃん勝負って何をするんだい?」
「おじさん運動神経いい?」
「悪くはないぞー!若い頃は市民マラソンで入賞してるんだからな」
私はカバンからかなり前に百均で買ったハロウィン用のカボチャの丸い飾りを出した。閉じたりも出来る提灯みたいな物だ。
「これ、頭に乗っけて飛び蹴りか回し蹴りで落とした方が勝ちって勝負しようよ」
彼はギョっとした顔をして慌てて首を振った。
「そんな危ないことはできないぞ!もし俺がお姉ちゃんにそれをやって怪我させたらどうするんだよ?危ないからダメだ。お姉ちゃんも飛び蹴りなんかできないだろ?」
「私ね、陸上部で一応は走る専門なんだけど、混合競技に出るときのために高跳びもやってて、かなり自信あるんだ。だから大丈夫だよ」
「いや!ダメだ。いつも助けてくれて感謝しているからこそダメだ」
私が冷めた顔で見ると「だから、お姉ちゃんが怪我したら困るからだ!」と口から唾を出しながら興奮して説得してくる。
「じゃあさ、出来るか出来ないか試したいたから立ち膝してカボチャ持って。それならやってくれない?ジャムあげるから」
私の提案に彼はカボチャを受け取り苦笑いをしながら立ち膝をした。
「頼むから身体蹴らないでくれよー」
「遊びだもん。本気でやるわけないでしょ?」
私も笑いながら言ってから位置を確認する。
「いくよー」
と明るい声で言ってから、飛び蹴りではなく回し蹴りをした。
ガゴンっと結構な音がして、スローモーションのように彼が口から泡を吹いて倒れていく。
私が狙ったのは首元。カボチャなんでフェイクだからどうでもいい。
彼に近づいて生きているのか確認すると気絶しているだけらしい。
高架下を出てスーパーでまた制服に着替えてから、高架下の近くの人混みがあるところまで戻り、その辺にいるサラリーマンに「大変です!」と言った。
サラリーマンは「どうしたの!?」と驚きながら言った。
私が緊迫した表情で訴えかけているからサラリーマンも何かあったのか?と身構えている。
「今、風で学校のプリントが飛ばされて高架下まで取りに行ったら、遠くからしか見てないけど人が倒れているみたいなんです!」
私の声を聞いたサラリーマン以外の人たちも騒然となり、高架下を見に走って行く人やサラリーマンは救急車と警察をスマホで呼んでいる。
「大丈夫?」と聞いてきたおばさんに「気分が悪いのでトイレに行きます」と言って、口にハンカチを当てながらその場を離れた。
結っていた髪をほどき、私は鼻歌を歌いながら駅への道を歩いた。
最高だ。こんなに気分がスカっとするなんて。
あんなに綺麗に回し蹴りが決まるなんて爽快すぎる。
脚力には自信があった。なめていたホームレスの負けだ。
「あ、負けたからジャムもらえなかったね」
さっきのカボチャとジャムが入ったカバンを中を見てクスっと笑った。
ここはしばらくは来ない方がいいだろう。
また大事な「ホームレスさん」を探さなきゃだ。
あれから6人、ホームレス相手にストレス発散をした。
あまり注目したことはないけれど、意外にホームレスがいることがわかった。
冬は雪が降るのにどうしているのだろうか?と考えたけれど、新しくなった知事がホームレスの自立とそして命にかかわる冬は会館などを解放して炊き出しもしているとニュースに出ていた。
ホームレスの住処を見つけるのは結構大変だけれど、その分、ストレス発散できるのなら仕方ない。
だって下準備は大事だから。母の口癖だ。耳が腐るほど言われてきたし、そうなのだろうと思っている。
夕方のニュースをスマホでホームレスの住処を探しながら聞き流していると
『最近、ホームレスを襲撃する事件が多発しており、すでに6名が怪我をしています。犯人の特徴は若い女性、もしくは学生かもしれないと証言されており、女性にしては力加減が成人男性と同等だと警察が会見で話しています。警察は厳重に注意を呼び掛けると共に犯人の行方を追っています』
「マジかよ……」
あれだけ注意しているのに捕まるのはごめんだ。もしかすると少年院に入れられるかもしない。
「何がマジかよ……だよ。そろそろ行ってきてちょうだい」
母にエコバッグを渡される。
唯一この田舎にある大型スーパーへ行けということだ。
ファストファッションの店も出店していて、ちょっとした服や下着はここで済ませることがい多い。
夕方5時から食品の割引やご奉仕品のシールが貼りだされるから買いに行ってこいという。
「早く!なくなったら夜ご飯ないんだからね!」
うちの親は医者で金持ちではないのか?
母はお嬢様育ちで料理が出来ないから、都会にいた時からデパ地下のお惣菜が食事だった。
今やそれはスーパーの割引の総菜になった。
家を出て診療所の方を見ると、この地域には全く似合わないピカピカに磨かれた外車がある。
ここに来た時に父が買った車。
その車を磨くのが今の父の唯一の趣味かもしれない。
ピカピカの外車の家の食事が割引やご奉仕品のお惣菜。
見栄だけは捨てきれないのか、買い物は私の仕事。
母が外に出るときは高級ブランドのバッグを持って化粧をバッチリしている。
この田舎で私の家は「金持ち」と思われているし、すごく浮いてる。
農家の人が作業をしているところを派手な格好で歩いて通り過ぎる母。
違和感しかないピカピカの外車の窓から町の人に手を振って乗り回す父。
それなのに現実は毎日夕方のスーパーへ自転車で急ぐ娘だ。
おかしいにもほどがある。
私はあんな風にならずに質素に見えながらも有名な医者になって、町の人に崇拝されたい。
ギャップがなく、「先生も奥さんも変人だ」なんて陰口を言われない人間になる。
絶対的に私に頼るしかなく、頭が上がらないくらい神のような存在になるんだ。
そんなことを思いながら自転車を必死でこいで、国道に出る。
信号を渡ればスーパーだ。
嫌だ、こんな生活。
私は神になるために生まれてきたんだ。
だからホームレスを少しいじめるくらいなんだっていうんだ。
事件にするほどじゃないではないか。
信号が黄色になりそうだ。
早く渡らなければ。
総菜の取り合いになるから急いで買わないと。
本当に嫌だ。
もう嫌だ。
信号をあと少しで渡り切るところでクラクションが鳴る。
車道を見るとトラックがもうすぐそこまで来ている。
ものすごい衝撃を身体に感じたのが最後。
私の意識はなくなった。