冷酷御曹司と仮初の花嫁

　店は緩やかな音楽が流れ、店のフロアには麗奈さんの綺麗な微笑みがあるのに、バックグラウンドは慌ただしい。碧くんは口を動かして『大丈夫？』と聞いてくるけど、私はそれに頷きながら手だけは動かした。

　閉店の時間が来て、最後のお客さんを送り出してから、私は片づけを始めると、麗奈さんが私の横にやってきて、魅惑の微笑みを浮かべた。

「素敵な人と食事に行ったのでしょう。どうだった。花鳥は」

　千夜子さんから連絡は行っていると思っていたけど、このタイミングでそのことを言われるとは思ってなくて、つい息を呑む。別に普通の食事に行っただけだから何も疚しいところはないのに、心の奥にある疚しさが鼓動を激しくさせた。

「美味しかったです」

「そうよね。花鳥の料理は私も好きよ。佐久間さんって、優しいでしょう」

「麗奈さんは知っているのですか？佐久間さんのこと」

「もちろんよ。あのルックスに、ステイタス。御曹司の割には仕事が出来るし、語学も堪能。超一流のビジネスマンだと思うわ。それに確かお母様の実家は華族の血筋だったはずだから、血筋も言うことなしだし。狙っている女の子も多いと多いと思うわ。香水の嫌いな人が佐久間さんだとは思わなかったけど」

「そうなんですね」

「陽菜ちゃんは好きにならなかったの？」

「なりませんよ。初めて会った人なのに」

「わからないでしょ。恋っていつ始まるか誰にも分からないのだから」

　クスクス笑いながら、私の肩をポンと軽く叩くと、店が始まる前に貰った深紅の薔薇に顔を近づけ、フッと綺麗な微笑みを浮かべた。

「恋はある日突然よ」