冷酷御曹司と仮初の花嫁
 何度も店かアパートまで何度も碧くんに送って貰った。

 彼が車の免許を取って、運転に慣れたと言い始めた頃から何度も。おかげで私は始発まで待って、電車で帰ることも少なくなった。私には兄弟は居ないけど、もしも弟がいたらこんな感じなのかもしれないとこっそりと思う。運転しながらの優しい声がカフェでのバイトで疲れた心を癒す気がする。

「いつもありがとう。助かっちゃう」

「そんなに遠回りでもないし。運転好きだし」

 碧くんの運転する車は静かに白みだした空に向かって動き出す。

 今日は天気がいいのか、いつもよりも日が明けるのが早い気がする。窓際に流れるビルの影を白く塗りなおしていく。黒く染まった街を綺麗に洗い流す光は新しい一日の始まりを知らせるものだった。 新しい一日はきっと素敵な一日になると信じたい。

「もう、夜が終わるね」

「そうですね。部屋に戻ったら寝るだけなのがもったいない気がする。陽菜さんは何かするの?」

「まずは寝ます」

「そうですよね」

 一緒にいた時間があるからか…。私は碧くんの傍にいると落ち着く。二人とも自分のことを話す方ではないから、無駄に話はしない。でも、時折響く優しい声が安心させる。夜中に男の子と二人で車に乗ることの危険さは知っているけど、碧くんは私の中で特別なのかもしれない。

「今日も疲れた。結局、陽菜さんのサンドイッチは食べれなかったし」

 碧くんのために準備したサンドイッチは金曜の夜のカフェで寛ぐお姉さんの口に入り、碧くんは残ったパンの耳に卵の残りを塗って食べるだけだった。麗奈さんが最後のお皿を持っていく時に、少しだけ申し訳なさそうな顏をしていたけど、店のお客様が優先されるのは仕方ないことだった。
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