ロスト・ヘヴン
黒猫
 柔らかく降り注ぐ雨を気にもせず、セーラー服を着た少女は家への道を歩いていた。
 彼女に友達はいない。誰と話すこともなかったし、クラスメイトも彼女をないものとして生活していた。

 にゃあ。

 アパートまで戻ると、階段に黒猫が待っていた。少女の唯一の理解者。

「ただいま。今日は、雨ね」

 黒猫の鼻先を白い指先で撫でると、音を立てながら階段を上がる。木造造りの古いアパートは、住人の音を全て響かせた。

 2階の1番奥。誰もいない部屋の鍵を少女は開ける。
 俯いた拍子に、肩まで伸ばした黒髪から雫が零れた。
 足許には黒猫。ぽたりと落ちた雫は、黒猫の髭を濡らした。

 誰もいない部屋は、薄暗く生活の匂いがない。母親は、3ヶ月前にいなくなった。失踪届けは出していない。
 ここには、1人きり。
 少女はまだ、16歳だった。

 けれど、その瞳は同年代の少女達とは一線を画している。乾いた、感情のない眼差し。
 
「ただいま。父さん」

 小さな机と布団位しかない部屋だった。その机の上に飾られた、1枚の写真。

 少女が、16年と言う短い歳月の中で愛した、唯一の人。


 もうこの世界にはいない。


 雨の雫が、足許の畳を濡らした。感情のない瞳のまま、少女は笑う。写真の中にだけ向けられる表情を知る者はいないだろう。


 少女は、世界中でたった1人。



 ひとりぼっちだった。
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