青春ゲシュタルト崩壊

 すぐに立ち上がった叶ちゃん先生は、朝比奈くんに視線を移すと一緒にきてほしいと頼んだ。
 どうやら倒れた生徒をここまで運ぶらしい。それにしても、また倒れたということは、なにか持病がある生徒なのだろうか。


 少しして朝比奈くんが背負ってきたのは、ゆるやかなウェーブがかかった黒髪をふたつに結いている女子生徒だった。
 見たことのない子だと思って視線を下げると、上履きの色が赤だった。ということは、一年生だ。


 朝比奈くんがベッドに彼女を寝かせると、肩を押さえてため息を吐く。


「はぁ……懲りねぇな、コイツ」

 その口ぶりから彼女とは知り合いのようだった。一方、ベッドの上にいる彼女は眠っている。よく見ると、隈ができていて顔色も悪い。


「また寝不足みたいね」

 後から保健室へ戻ってきた先生は、倒れた彼女のものらしきカバンと分厚い本を三冊抱えていた。それをテーブルの上に置くと、どうしたものかといった様子で眠っている彼女を見やる。


「何度も倒れているんですか?」
「ええ……読書中毒、というのかしら。寝る間も惜しんで本を読んでいるみたいで、最近寝不足で倒れることが多いのよ」

 そこまでしてまで読みたい本があるのだろうか。シリーズものでも読んでいるのかと思ったけれど、本のタイトルを見る限りそれぞれジャンルが異なっている。


「ん……っ」

 薄らと目を開けてぼんやりと天井を眺めていた女子が起き上がり、あくびを漏らす。


「また私、倒れました?」

 眠たげな目を擦る彼女に、叶ちゃん先生は深いため息を漏らす。


「中条さん、睡眠時間はしっかりとりなさいと、あれほど注意したでしょう。毎回打撲で済んでいるからいいものの、大怪我したらどうするの」
「だってどうしても、自分を探したくて」

 自分を、探す?
 もしかしてとある予感がしたときだった。眠たそうな目で私を映し、人懐っこい笑みで話しかけくる。


「いつもはいない人ですね」
「えっ、あ……二年の間宮朝葉です」
「こんにちは! 私は一年の中条月加です」

 中条さんは明るい口調で話しながら、ベッドの上で足をばたつかせる。無邪気な印象の子で、先ほど倒れたようには思えないほど元気そうだった。


「中条さん。本を読むのは、少し控えた方がいいんじゃないかしら」
「だって本読んでいると楽しいですし、自分探ししたいじゃないですか」

 私から見れば、自分を持っているように見える。周りに合わせるタイプというよりも、ムードメーカーなタイプだ。


「あ、間宮先輩。私、青年期失顔症なんですよ」
「っえ!?」
「発症したのは六月の頭なんですけど、ひと月経っても治らなくって」

 自分を探すという発言に、もしかしてと思った。けれど、彼女と話していると自分と同じには見えなくて、勘違いだと思っていた。それに隠さずに話す中条さんに驚きを隠せない。こんなにも平然と発症していると話せる人をはじめて見た。

「そう、なんだ……」
「あれ? すんなり信じてくれるんですね! 私、本を読んで、なりたい自分を模索中なんですよー!」

 呆然としている私に、中条さんが白い歯を見せて笑いかけてくる。自分を見失い発症してしまう人にも色々なタイプがいるようだ。


「睡眠時間削ってまで読むな。運ぶこっちの迷惑も考えろよ」
「朝比奈先輩、本当毎回ごめんなさい!」
「次はねぇからな」

 朝比奈くんは、なんだかんだ面倒見がいい。私の件も含めて、青年期失顔症の人を放っておけないのかもしれない。


「先生も、いつもごめんなさい!」
「今日はちゃんと寝るのよ?」
「はぁい」

 明るくてよく笑う中条さんを見ていると、青年期失顔症が嘘のように思えてしまうけれど、根本的なところが見えていなかった。そもそも倒れるくらい本を読んで自分を見つけようとしていたということは、それほど中条さんは追い込まれている?

 ……表面だけを見ていても、なにを抱えているかはわからない。私自身だってそれは同じだ。平気なフリをして笑顔を浮かべていたのに、本当はずっと苦しかった。

 人の苦しさなんて、他人が簡単に推し量ることなんてできない。


 中条さんはまた倒れたら危険なため、少し保健室へ休んでから帰ることになった。眠りの妨げになってしまわないようにと、私と朝比奈くんは保健室を出る。


 廊下を歩きながら下駄箱へと向かっていると、朝比奈くんがポケットの中から自転車の鍵らしきものを取り出した。キーホルダーの銀色の輪っかの部分に人差し指をいれて、くるくると回す。


「間宮、今日もバス?」
「うん。朝比奈くんは自転車?」
「おー……また共犯にでもなるか?」

 こちらの顔色をうかがいながらの悪い誘いに、噴き出してしまう。以前の私なら躊躇っていたかもしれない。だけど今日はすぐに返事をした。


「共犯になろっかな」
「真面目そうに見えるやつの方が、実は悪いことにすぐ染まるよな」
「だって、一度やったら、次はまあいっかってなるっていうか……」
「それ、完全に悪い思考だぞ」

 朝比奈くんに言われたくないと横目で睨むと、今度は朝比奈くんが笑った。案外笑顔はかわいい。切れ長の目は、少し冷たい印象を与えるけれど、笑うと愛嬌がある。

 普段からこうして笑っていたら、近寄り難く思われないかもしれない。


「なあ……さっきの話、どう思った」
「さっきの?」
「青年期失顔症の生徒が増えてるって話」

 例年よりも増えていることに関してだけではなく、叶ちゃん先生の様子も私は気になった。昔から知っている朝比奈くんもおそらくは気になったのだろう。


「発症したことを話すって、結構勇気がいると思うんだよね」
「……それなのに、増えてんだよな」

 親や教師に報告なんて、ほとんどの生徒がしたくないのではと思っていた。けれど、中条さんのように初めて話した相手に、発症のことを話せる子だっている。そうなるとますますわからなくなってくる。本当にただ発症者が増えたというだけなのだろうか。



「……故意に起こしてるやつがいる、とかな」

 私も一瞬頭を過ったひとつの可能性だった。

「でも、そんなことできるのかな」
「言葉巧みに人を動かすことが得意なやつならできるんじゃねぇの」

 故意に起こしたとして、その人の得るメリットが思い浮かばない。それに人を動かすことが得意だなんて、生徒ができるのだろうか。……ひょっとして先生?

 でもあの桑野先生が故意にというのは考え難い。


「考えても疑心暗鬼になるだけだね」
「だな。……でも、頭に入れておいた方がいいかもしれねぇな」

 そう言った朝比奈くんの横顔が陰っているように見えた。





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