青春ゲシュタルト崩壊


「聖は、自分がしたくて間宮さんにお節介なことしているんだから、大丈夫よ」

 従兄のことがあるから、気にかけてくれていたことはわかっている。それでもバスケ部の女子から好奇な目で見られたり、嫌な噂を立てられたり、桑野先生に誤解されてしまったことは、朝比奈くんにとって迷惑でしかないはずだ。


「どうしても気になるなら、今度本人に聞いてみたらどうかしら。きっと〝どうでもいい〟とか可愛げのないこと言うわよ」

 叶ちゃん先生の朝比奈くんの物真似があまりにも似ていて、涙がすっと引っ込んでしまう。さすが従姉弟と呟くと、叶ちゃん先生が笑った。


「間宮さん、学校ってたくさんのことを学ぶ場所だと思うの。勉強や部活、人間関係……色々なことを体験して、積み重ねて、人間性や想像力を育んでいく」

 だけどねと叶ちゃん先生がいたずらっ子のような笑みを浮かべて、人差し指を立てる。


「時にはちょっと悪いことをしてみるのも、学びのひとつよ」
「悪いこと?」
「ああ、タバコとかお酒とか法律違反をしろってことじゃないの。でもちょっとくらい学校のルール違反したって……ね?」
「へ?」
「入っていいわよー」

 保健室のドアが開かれて振り返ると、中条さんが中に入ってきた。


「間宮先輩! 私とデートしませんか」

 その誘いに驚愕した。壁にかけられた時計を見ると、時刻はあと数分でもうすぐ一時になろうとしている。


「で、でももうすぐ五限目が……っ」
「間宮さんと中条さんは体調不良で一時間保健室で休みね」
「え!?」

 戸惑っている私を後押しするような叶ちゃん先生の言葉に、更に困惑していく。養護教諭という立場なのに、サボることを黙認するだけでなく、隠蔽の手伝いまでしていいのだろうか。


「六限目はちゃんとでるのよ」
「そ、そう言う問題ですか!?」
「お互い内緒にすればいいのよ」

 〝共犯〟という言葉を思い出す。そういえば、この人は朝比奈くんと従姉弟だった。


「ほらほら、行きましょ! 他の先生に見つからないうちに!」
「えっ、ちょっ……!」

 中条さんに引きずられるように保健室を出ると、腕を掴みながら走り出した。


「デートっていっても、校内の探検ですけど。でも、ちょっとワクワクしません?」
「探検って……どこ行くの!?」
「ついてきてください!」

 階段を上がり、私は半歩先を進んでいる彼女の背中を見つめる。激流にでも飲まれるように私は気づいたらすごいことをし始めている気がした。

 サボりなんて、初めてだ。
 いけないことだとわかっているのに、ドキドキと胸が高鳴る。


「間宮先輩、どうせなら青春っぽいことしたくありません?」

 振り返った中条さんが悪さを企む無邪気な子どものような表情で笑った。


 まず連れてこられたのは美術準備室だった。
 隅っこに置かれていた絵を中条さんが私に見せるように並べてくれる。それを見て、私は目を奪われた。


「……すごい」

 思わず漏らした言葉に、中条さんがニッと口角を上げる。


「これ、卒業生が描いたらしいんです」

 セミロングの黒髪の女子生徒が裸足でプールの水を蹴って笑っている絵や、屋上で寝転がっている絵。紙飛行機を飛ばして、泣いている絵。どれも初めて見る絵だというのに、何故だか既視感を覚える。


「もしかして……実際にある建物とかが描かれてる?」
「正解です。プールも校舎も屋上も、全部この学校なんです」

 同じものを見ているはずなのに、この絵を描いている人とは別次元にいるように感じてしまう。


「私、この絵を見たときに思ったんです。この人には学校がこんな風にキラキラして見えているのかなって」

 かけがえのない一瞬を詰め込んだような眩しい青春の絵。この絵にはひとりしか描かれていない。まるで願望のように見える。


「この絵の女の子みたいに泣いたり笑ったり、自由に生きたかったのかもしれないです」

 絵を通して自己投影をし、この絵の作者は自由を体感していたのだろうか。
 感情を自由に表に出すことは、段々難しくなってくる。周りに合わせることを覚えて、隠すことが上手くなって、集団の中に飲まれていく。

 ふとあることに気づき、もう一度絵をじっくりと見つめる。


「……もしかして、この人も?」
「青年期失顔症だったらしいです」

 個人情報ということもあり、叶ちゃん先生も名前は教えてくれなかったらしい。けれど、作者の生徒本人が学校にこの絵を残していきたいと言ったそうだ。自分を失い、苦しんでいる生徒に少しでもなにか届くようにと願っていたのだそう。


「絵を描くというのも、治療のひとつらしいです。実際、この絵の作者の先輩は絵を描いて自分を取り戻していったそうなので」

 自分を取り戻す方法はひとつではない。文字にしたり、絵にしたり、誰かとの会話からヒントを得たり、人それぞれに適した方法がある。すぐに完治しなくても焦る必要はないのかもしれない。


「文化祭では、この絵が展示されることが決まっているらしいんです」
「きっと多くの人がこの絵に目を奪われるだろうね」




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