青春ゲシュタルト崩壊
中条さんは絵を片付けると、意を決したように真剣な表情を私に向けてくる。
「実は私、治りました」
予想外の発言に目をまんまるく見開く。
「とはいっても完治とは言い切れなくて、時々見えなくなるときもあるんですけど」
「それって……青年期失顔症が!?」
少し強張った表情で頷く中条さんを、私は不思議に思ってしまう。喜ばしいことのはずなのに、どうして嬉しそうではないのだろう。
「土日に妹と何度も話をしたんです。最初は険悪になっちゃいましたけど、親も巻き込んでいろいろ話して、お互い謝って、翌朝鏡を見たら顔が見えました」
「よかった」
安堵の笑みが零れる。
本を読みあさって不眠症で倒れていたときよりも、今の彼女の顔色はいい。すべてが丸く収まったわけではなくても、いい方向へと進んでいけているのなら、完治も近いのかもしれない。
「……どうしたの?」
目を見開いて硬直している中条さんに問いかけると、ぎこちなく笑った。
「すみません……あの、実は間宮先輩にこの話をするのって無神経かなとか、嫌な想いさせちゃうかなとか色々考えていたので」
私は完治していないのに、自分だけ完治へと近づいたことに罪悪感のようなものを抱いていたらしい。そんなこと気にしなくていいと言うと、今度は中条さんが安心したように表情を緩めた。
「同じ青年期失顔症でも、私の問題と中条さんの問題は別だよ。中条さんが完治に近づいてよかったって本当に思うよ」
青年期失顔症になった辛さがわかるからこそ、私は中条さんの現状が嬉しい。それに焦りは自分自身問題だ。
「多分なんですけど、踏み出して家族との仲を変えるきっかけを得ることができたのが大きかったと思うんです。でもその背中を押してくれたのって、間宮先輩の言葉でした」
「……私?」
「間宮先輩と話をして、自分の中で整理がついて妹と話そうって思ったんです。あのとき間宮先輩が私の教室まできてくれたお陰です。ありがとうございます」
無性に泣きたくなった。私の行動が、言葉が、中条さんの心を動かすひとつになれていたなんて。自分を見失って窒息しそうな現実でもがき苦しんでいた私にとって、救いのようだった。
「でもまだ色々と解決したわけではないですもんね。野放しにするわけにはいかないですし」
「え?」
野放しとは、なにに関してなのかわからず首を傾げる。
「だけど本当なら、一体なんのためにやってるんですかね」
「えっと、ちょっと待って。なんの話?」
「へ?」
私の反応に中条さんの顔色が悪くなっていく。しまったというように苦笑すると、「忘れてください」と言ってきた。
私に話してくるということは、無関係なようには思えなくて詳しく聞こうと口を開いたときだった。昼休みが終わるチャイムが鳴り響く。もう五限目が始まってしまう。
「さてと、間宮先輩。行きましょうか」
「行くって、どこに?」
「探検です!」
再び一階へ行くと、体育館へと続く外通路に出た。そこをまっすぐ進むと、体育館の開いた扉から準備運動をしている声が聞こえてくる。
「窓のところはしゃがんで進みましょう!」
小声で話しながら、中条さんは足音を極力立てないように体育館の横を進んでいく。
格子がついた窓は開いていて、ちょうど私たちの頭が見えてしまうため身をかがめながら歩く。なんだか忍者か泥棒にでもなった気分で可笑しくなってくる。
体育館の裏側へ着き、中条さんが花壇の横を歩いていく。すぐ見えてきたのは三角の屋根の建物の裏口だった。
「鍵かかってるんじゃないの?」
「ばっちり入手してありますので、ご心配なく!」
そう言いつつも、鍵を取り出すことなくドアノブを捻った。何故か鍵は開けられている。
「さ、見つかる前に行きましょ!」
疑問に思ったものの、早く入るように促されて聞くタイミングを逃してしまった。
私たちの学校のプールは外ではなく、室内にある。水泳部が県大会でも結果を残す強さらしく、ここの水泳部目当てで入学する生徒もいるほどだそうだ。
中に入るとむわっとした熱気が塩素の香りとともに肌を撫でる。今の時間は使われていないため、空調がついていないみたいだ。
「さすがにプールに侵入したら怒られちゃうんじゃない?」
「バレなければ、問題はないです!」
「それは、そうだけど……」
「この時間帯はどのクラスも使わないことは把握済みです!」
楽天的な中条さんと話していると、真面目に物事を考えすぎてしまう自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。保健室で休んでいるということになっているけれど、どうせ既にサボりだ。それなら、とことんこの状況を楽しんだ方がいい。
「私たちだけの貸切って感じでわくわくしますね!」