青春ゲシュタルト崩壊
体力が回復したのか、元気よく立ち上がった中条さんが私の手を引いて歩き出す。振り返ると朝比奈くんもついてきているため、次の場所へも一緒に行くみたいだ。
プールの裏口から出て、朝比奈くんがしっかりと鍵をかける。まだ体育館方から先生が生徒に注意をする声が響いてきて、びくりと肩が震えた。
「大丈夫ですよ。まだ授業中なので」
私を落ち着かせるように中条さんが笑いかけてくれる。授業をサボるなんて初めてなので、妙に緊張してしまう。
プールの脇道を進むと、古い建物が見えてくる。普段はあまり行かない方面だけど、こっちに来たということは目的地として思い浮かぶのはひとつだ。
「もしかして、旧校舎?」
「正解です!」
ここは元々、第二校舎として使われていた小さな建物だったそうだ。けれど今は本校舎が増築されて綺麗に整備されたため、旧校舎として扱われて今では外部活の人たちの更衣室や、部活などで使用する物置き場と化している。
「ここはサボりスポットらしいですよ」
「なんで中条さんがそんなこと知ってるの?」
普段からサボるようには見えない。二年生の私ですら、そんな情報はもっていないので、疑問に思っていると中条さんの視線がちらりと朝比奈くんへ向いた。
「なるほど。朝比奈くんのサボりスポットなんだ?」
図星のようで朝比奈くんは顔を顰める。
「大丈夫。誰にも言わないよ」
「サボんなよ」
「今日が特別なだけで、今後はサボったりしないよ」
「どうだか。一度やったら、次はまあいっかってなるって言ってただろ」
よく覚えてるねと苦笑すると、何故か真面目な顔をされてしまう。
「覚えてるに決まってんだろ」
背を向けられてしまったため、どんな顔をして言っているのかわからなかった。旧校舎へと入っていく朝比奈くんの後ろを追っていく。
私の言葉を聞いて、覚えてくれている。それは〝私を見てくれている〟のだと実感した。私はずっと心の中で寂しさを抱えていたのだと思う。
本当の意味で、私の言葉に耳を傾けてくれる存在を欲していて、自分のことを理解されたいという願望が奥底に眠っていた。だけどいい子ぶって、物わかりがいいふりをしていた。結局私は、誰かのせいにして逃げてしまいたかったのかもしれない。
靴を脱ぎ、玄関に転がっているスリッパをそれぞれが履いて廊下を進んでいく。床が痛んでいるのか、歩くと軋むような音が時折聞こえてくる。
「私、ここに入るの初めてです。間宮先輩は、入ったことありますか?」
「……私も初めて。女バスは本校舎の一階にある更衣室使ってるんだ」
ここの校舎は今は本校舎に移っている国際コミュニケーション科や、商業科、そしてスポーツ科の教室として使われていたそうだ。
ただ、今でも運動部は強いものの、スポーツ科は廃止されている。だからこそ、顧問の桑野先生はかつての栄光を夢見て、部活に力を入れるのかもしれない。
中条さんはドアが空いている部屋に入ると、埃を被っているコピー用紙らしき紙の束を見つけて目を輝かせた。
「これ、使えそうですね!」
「使うってなにに?」
「あとのお楽しみです〜!」
またなにかを思いついたらしい。紙を数枚抜き取っていくと、慌てたように部屋から出てくる。
「朝比奈先輩、置いて行かないでください! 鍵持ってるの朝比奈先輩だけなんですからー!」
「じゃあ、寄り道せずにとっとと来いよ」
鍵がかかっている部屋が目的地らしい。行き先を私は知らされていないため、小走りでふたりの後を追って行く。
階段は所々段鼻につけられた滑り止めが捲れ上がり、踏面も薄汚れている。旧校舎自体が埃っぽく、手入れも行き届いていないように見える。
階段を三階まで上がると、さすがに少し足に疲れを感じてきた。そのまま更に上へ行く朝比奈くんについて行くと、薄鈍色の扉が見えてくる。当然のように朝比奈くんがポケットから銀色の鍵を取り出した。
「どうしてそんなもの持ってるの?」
「先輩にもらった。いくつか合鍵があって、卒業するときに下の代に渡すんだと」
つまり同じサボり仲間の先輩から受け継いだということらしい。
「なにそれ伝統?」
私にはよくわからないけれど、彼は代々自分たちと似たような人たちに、ここの鍵を授けるということだろうか。
「んなすげぇもんじゃねーよ。……ただ逃げ道を教えてやってるだけだろ」
以前朝比奈くんが、中学の頃の派手な先輩たちにも先輩たちなりの悩みがあったと言っていた。それと同じなのかもしれない。
好きにサボっているように見えたけれど、授業に出ずにサボっている人たちにも悩みがあって、苦しくて窒息してしまいそうで、逃げ場を欲しているのだとしたら……なんて私の想像でしかない。
けれど、みんなそれぞれなにかしら抱えていて、葛藤しているのかもしれない。
朝比奈くんが鍵を差し込んで、解錠する。ドアノブに手をかけて押し開くと、薄鈍色の塗装の一部が剥がれ落ちていく。