青春ゲシュタルト崩壊


「けど逃げるのは、嫌だって顔してんな」
「え?」
「お前にとって、これは逃げなんだろ」

 やっぱり朝比奈くんは小学生の頃と変わらない。私が指摘されたくない部分に気づいてしまう。


「……逃げだよ」

 私の返答に不服そうな顔をしながら、朝比奈くんは苛立った様子で金色の髪を髪を掻く。


「部活休部することが、間宮の中で逃げなら、どうしたいんだよ」
「それは……」
「ずっと答えの出ていることでうだうだ悩んで、先送りにして、結局苦しんでんじゃん」

 私はもう自分の進む道になにが残されているのが気づいている。そして自分自身が求めている結末も知っている上で、言い訳を並べて逃げて、考えずに済む時間に甘えていた。
 けれど、今日バスケ部から呼び出しをされて、決断のために残された時間はもうないのだと痛感した。


 小さく息を吐いて、朝比奈くんを見据える。


「朝比奈くんって優しいよね」
「はぁ? 今そんな話してねーんですが」
「だって、私の背中を押すために、あえてきついこと言ってくれてるんでしょ」

 口は悪いけれど、朝比奈くんは昔から故意に傷つけるための言葉は言わない。本気で相手のことを心配している。ただ言い方がストレートで不器用なだけ。


「俺は思ったこと言ってるだけ」
「いやいや、朝比奈先輩はちょー優しいですよ」

 中条さんが朝比奈くんの前までやってくると、からかうように紙飛行機で頬を突いた。
 朝比奈くんは紙飛行機を片手で軽くはたくと、口元をひくつかせながら中条さんの頬をつねりあげる。


「うるせー、ややこしくなるから、お前は黙ってろ」
「ちょっ、頬つねるのやめてくれません!? 痛いです!」

 ふたりの戯れあいを眺めていると、生暖かい風が吹いた。落ちている紙飛行機が風に流されるように私の足元までくる。それを拾い上げて、胸元に当てる。


「周りに甘えてばかりじゃなくて、私も自分のやるべきことをしなくちゃ」

 周りには言えなかったけれど、本当はプレッシャーに弱くて、バスケの試合前はよく腹痛になっていた。
 いつのまにか期待されていることに気づき、重圧に押しつぶされそうになりながら、私は自分がバスケを続けなければいけないのだと思い込むようになっていたのだ。


 桑野先生に休部の相談に行ったのも、本気で休部の許可をくれるとは思っていなかった。
 けれどせめて、私を部長候補から外してくれるのではないか、この苦しさに気づいてくれるのではないかと淡い期待を抱いていた。結局全て打ち砕かれてしまったけれど。


 青年期失顔症になり、自分のことがわからなくなって、自己嫌悪に陥って、事情を知っている朝比奈くんや叶ちゃん先生、中条さんに甘えていた。もう十分、優しさをもらって守られた。


 紙飛行機を両手で守るように抱えながら、ふたりを見つめる。
 自分の顔は見えないけれど、きっと今私は笑えているはず。


「ありがとう」

 向き合うとか、一歩前進するとか、そんなかっこいいものではない。
 自分の身に怒った問題を、きちんと終わらせる決意が固まった。周りが、ではない。私がしたいと思うことをする。

 その前に、彼と話さないといけない。


「朝比奈くん、話があるの」
「俺はねぇよ」
「私はあるの!」
「はー、はいはい。なんですか」

 なにかを察知したのか、こういうときは話を避けようとしてくる。野生の勘でも働いているのだろうか。


「私を駄菓子屋に連れていってくれたのは、気分転換って理由だけじゃないよね」
「なんだそりゃ」

 叶ちゃん先生と話して、もしかしてと思った。あの日の朝比奈くんの行動は理由のない思いつきのようには、どうしても思えなかったのだ。


「味覚を失っていないか、探っていたんでしょ」
「……叶乃から聞いたのか」

 青年期失顔症になって初めて部活へ行こうとしたことによって、私には精神的に大きな負荷がかかっていた。それを見た朝比奈くんは、ひょっとしたら悪化するのではないかと思っていたのだろう。


「実はさっきバスケ部の話し合いのとき、一度だけ自分の声が聞こえなくなったの」

 私の場合の悪化は、味覚ではなく聴覚に来たけれど、あくまで朝比奈くんは確かめるための選択肢のひとつとして駄菓子屋を選んだのだろう。
 一緒に放課後を過ごしてみれば、会話や表情を見ているうちに他にも症状が出ていたらわかるはずだ。



「……悪化したんですね」
「中条さんも青年期失顔症が悪化するとどうなるか知っているんだね」
「私の場合も、一度だけでしたが味覚を失いました。でも翌日には戻っていたので、多分精神が安定して、それ以上の悪化は防げたんだと思います」

 私のときも中条さんと似たようなことなのだろう。自分の声が聞こえなくなったのはあのときだけで、今は気持ちが落ち着いているため声は聞こえる。


「それとね、私のことを気にかけてくれるのは前に聞いた理由とは別にもあるんじゃないかって思って」

 従兄に似ているという理由も嘘ではないと思う。けれど、今日のように連れ出してくれるのは、他にも理由がある気がしてしまう。それに偶然見てしまったメッセージのやり取りも気になっていた。


「間宮は昔から知ってるし」
「でも私たちそこまで話したことなかったでしょ」


 見つめ合い……というよりも朝比奈くんから圧力のある鋭い視線を向けらて、数秒間の沈黙が流れる。




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