青春ゲシュタルト崩壊


 翌日、私は家を出る前に鞄の中に入れた紙を確認した。いよいよ今日、私は自分の足で一歩を踏み出す。

 玄関で事情を話したお母さんに心配そうにされたけれど、大丈夫と返す。きっと今の私は自然に笑っていると思う。

 無理をしていないと言われたら、嘘になるけれど、今日はいつもよりも気分が高揚している。


 きっと恐怖心をねじ伏せるくらい私の決意がかたまっている証だ。今ならなにを言われても決意が揺るがない自信がある。





 放課後、しばらく教室で人が捌けるのを待っていた。行動を起こすなら、部活が始まる直前の人が集まっているときが理想的だ。だんだんと人が減っていき、教室には私と彼だけになる。


「随分と急だな」

 昨夜メッセージで伝えたため、朝比奈くんも気にかけてくれているみたいだった。やっぱり面倒見がいい。


「今言わないとって思ったから」

 夏休みになると、大会に向けて練習メニューも変わってくる。そうなる前に一学期のうちにきちんと終わらせたほうがいい。現場でも部には迷惑をかけてしまっているけれど、先延ばしにしたほうがもっと迷惑をかけることになってしまう。


「あ、ここだったんですね。クラス〜!」

 教室のドアからひょっこりと顔を覗かせたのは、中条さんだった。彼女にも昨夜メッセージで事情を話していたので、駆けつけてくれたらしい。


「私たち、保健室で待っているんで、なにかあったら呼んでくださいね!」
「それ、俺も含まれてんのかよ。めんどくせー」
「とか言って、今だってここにいるくせに〜!」
「うるせー」

 本気で面倒で嫌なら、朝比奈くんは今ここにはいてくれないはずだ。だけどいてくれるのは、呆れずに最後まで付き合ってくれるということなのだろう。


「朝比奈くん、中条さん、ありがとう」

 ふたりがいてくれる。そう思うと、心を強く保てる気がした。


 ひとりで体育館へ向かうのは初めてだった。部活のときは、いつも杏里や二年生の誰かと一緒に行動をしていて、思い返すと私は集団の中でぬくぬくと育っていたのかもしれない。

 いつだって周りに人がいて、自分ひとりで考えて行動を起こすことをせずに、流されるがまま輪の中にいる。集団でいると強くなった気分で安心した。ひとりぼっちになることはない。



 なにかを選ぶときも、これ朝葉っぽいと言われたものを受け取っていれば楽だった。むしろ意見を言うほうが、私らしくないと言われそうで怖かったのだ。
どこへ行くのも、誰かが傍にいてくれて、道標をくれる。


 思考が砂糖水にでも浸されたかのように、甘やかされていた時間だった。ひとりではなにもできなくなるくらいに。


 もちろん精神を追い込まれるくらいの苦しさは確かに存在していた。
 優しくて、人がいい。そんな評価を受けて、私であれば相手の反感を買わずに上手くやれる。そう言われてきた。言い換えれば、八方美人。


 先輩や後輩たちの間に立たされて、伝言係のような役割と、ひたすら鬱憤を聞かされて甘言でフォローする役割。それが部内での間宮朝葉だった。


 楽をしていたはずなのに、いつのまにか苦になることが多くなり、私の心が壊れ始めた。だけど桑野先生に休部を申し出たときも、私は〝人に言われるがまま〟流されて行動した。だから今こうして自分で決意をして歩いているのは、私にとっての大きな一歩なのかもしれない。


 体育館へ到着したとき、まず思ったのは懐かしいだった。
 叶ちゃん先生の協力によって休部してから、まだ一週間くらいしか経っていないというのに、既にそんな感想を抱いてしまっている。それと同時に、この場所はもう過去になり、自分の中で手放しているのだと実感した。



「え……間宮先輩?」

 私に気づいた後輩が一瞬だけ、希望を宿したような眼差しを向けてきたけれど、私の服装を見て、落胆したのが伝わってくる。

 入り口から中を見渡すと、まだ準備運動の真っ最中のようだ。
 私は体育館の隅にあるパイプ椅子に座っている桑野先生を見つけて、歩み寄っていく。


「桑野先生」

 私の呼びかけに、バインダーに挟まれたメニュー表を見ていた桑野先生が顔を上げた。

「……間宮」

 訝しげな表情を向けられて、上から下までまじまじと見つめられる。おそらくは制服のままやってきた私が部活に参加するために来たわけではないことを察したのだろう。



「お話があります」




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