青春ゲシュタルト崩壊
青年期失顔症は発症した本人にしかわからない傷であり、原因もそれぞれ異なる。
だからこそ、たとえ青年期失顔症になったことがある間宮や中条、常磐先輩であっても、相手の本当の意味での痛みを完全に理解などはできない。
そんな部活なんて意味があるのかと、目で訴えかけられている。
「……それでも、俺は意味があると思うけどな」
「へぇ、意外。案外優しくてお人好しなんだ?」
「あー……うぜ」
「奇遇ね。私も貴方がうざい」
この人は、とことん俺とは性格が合わなさそうだ。
「ああでも、朝葉ちゃんたちのことを気にかけていたくらいだし、こうして私にも会いにきている朝比奈くんは見た目とは違って優しい人なのね」
「常盤先輩は見た目とは違って、毒のある人間っすね」
別に優しい人間なわけではない。ただ巻き込まれた以上は、投げ出したくはないだけだ。本当はこの人と話すことすら嫌だ。
だけど放っておけば、発症者が増える。そのことの方が俺にとって嫌なため、今だって我慢をして脅しにきている。
「……治したいとは思わないんすか」
この人から妙な感じを覚えるのは、青年期失顔症だというのにメンタルの揺らぎを感じないからだ。普段は明るい中条ですら、時折暗い影が落ちるような表情が見えることがあった。
「性格を?」
「それは直したほうがいい」
「失礼だね」
「本当のことなんで」
常盤星藍は、ちぐはぐだ。この様子だとおそらくカウンセリングも受けてないのだろう。
それなのにメンタルは揺らがず、崩れているようには見えない。顔も味覚も失っているのなら、確実に精神バランスが崩れているというのに、完璧に〝普通〟を再現できているのだ。
むしろ、それが壊れている証なのかもしれない。
自分と同じ青年期失顔症に人を陥れるようなことを画策しながらも、自分は救われようとはしていない。彼女はなにを求めているのだろう。
「今更治しかたなんてわからないから」
「カウンセリング受ければいいんじゃないっすか」
「大人になにがわかるの」
彼女の心の中は俺が計り知れないのなのかもしれない。青空を眺めている瞳は、溺れそうなほどに深く暗い場所にある気がした。
「多分私は、顔を失ったままでも、味覚を失っていても、いい大学に入れて、うまくやっていける」
「……すごい自信だな」
「つまらないでしょ」
淡々と自分のことを話す常盤先輩の声音からは感情が見えなかった。
自分自身がある程度のことはなんでもこなせることを、彼女は知っている。知っているからこそ、それが退屈に思えてしまうのだろうか。
「で、アンタはどうなりたいんだよ」
「私は自分の望みは知らない。周りの望みしか知らないよ。あえていうなら、貴方の言う誘導が、私が唯一望んでやったことかもね」
この人は、ずっと他人軸で生きていたのかもしれない。誰もこの人の心に寄り添ってくれる人がいなかったからなのか、それともこの人自身が周りに壁を作っていたのかはわからない。だけど、ここまで追い込んだのは、おそらく周囲だ。
「頭がおかしいとでも言いたい?」
「よく冷静でいられるなとは思う」
「心がとっくに折られてるから。取り乱す時間なんて、もう過ぎたよ」
誰に折られたのか、気づいたら折れていたのか。常盤先輩は肝心なことはなにも語らない。
「どんなに心が折られて踏みにじられても、私は抜け出すことができない」
「……アンタなら、抜け出すことなんて造作もないことに見えるけど」
「それは勇気がある人ができることでしょう」
つまりは常盤先輩にはできないことだったということだ。苦しい状況から足を動かすことができず、雁字搦めになって耐え続けて崩壊していった。
「朝葉ちゃんは逃げではないと言っていたけど、部の中ではあれは逃げだという人もいる。……でも私にとっては羨ましかった」
「……自分で陥れたのに、間宮のこと羨ましいのか」
「私と彼女は、似てると思ってたの」
誘導した直後に、自分と同じように青年期失顔症になったことに勘付き、仲間意識を抱いていたらしい。けれど、間宮は常磐先輩とは違う道を選んだ。
「朝葉ちゃんは、自分で今までいた場所を手放すことを選択した。それは勇気があることで、誰にでもできることじゃない」
それは間宮には、中条がいたからかもしれない。同じ青年期失顔症の痛みを知っていて、手を引いて歩いて行ってくれるような、中条のような存在はなかなかいない。
「貴方のせい。きっと貴方がいなければ、朝葉ちゃんはあそこまで強くて前向きにならなかった」
「は? 俺?」
「ほんっと、ずるいなぁ。朝葉ちゃん」
「別に俺なんもしてないんだけど」
話を聞くことはあった。でも直接的に助けていたのは、叶乃や中条の方だ。
「なにそれ、かっこつけてるの? かっこ悪い」
「よくわかんねぇけど、すっげームカつくな」
「つまりは、貴方ってかっこ悪いってこと」
「あー……うぜぇ」