婚約破棄するはずが、一夜を共にしたら御曹司の求愛が始まりました
 ぐんと急激に体温が上がったような気がした。そしてそれは気のせいではなかったらしい。

「どうした? 顔が赤いけど」

 宗介の手のひらが紅の頬に触れる。そんなことをされたら、余計に体温が上がってしまう。紅は慌てて彼の手を振り払った。

「だ、大丈夫。ほら、古い建物だからいつも暑いの」

 築三十年ごえの職場のせいにした。

「今年も残暑が厳しいしね。それより、早く行かない?」
「えっ……」
「男といるところなんて、上司や同僚に見られたくないだろ」

 宗介は紅をからかうようにクスリと笑う。

 上司は先に帰ったが、誰にも見られたくないのはその通りだ。狭い職場だから噂はすぐに広まってしまう。

「わかってるなら、せめて駅で……」

 紅は珍しく宗介に苦言を呈した。珍しいどころか、もしかしたら初めてかも知れなかった。それは決して紅が従順だったからではなく、文句を言いたくなるような言動を彼はこれまで一度だってしたことがなかったからだ。
 紅の都合などお構いなしに職場で待ち伏せをするなんて、彼らしくない。

「職場の前で揉めたくなければ、デートの誘いも応じてくれるかと思って」

 悪びれるふうもなく宗介は答えた。

「宗くんてそんなキャラだったっけ……」

 そういう姑息な打算は彼のもっとも嫌うところじゃなかっただろうか。
 宗介は甘くとろけるような瞳で、紅を見つめた。

「卑怯なマネしてでも、紅とデートしたかったんだ。……ダメかな?」













 




 
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