婚約破棄するはずが、一夜を共にしたら御曹司の求愛が始まりました
婚約破棄へのステップ1
 築三十年はゆうに経過している市役所庁舎のエアコンは効きが悪く、残暑の蒸し暑さを拭い去ることはできていない。
 とはいえ、効きすぎて快適だとそれはそれで「無駄遣い」だと市民からクレームが入るのでこれくらいが丁度いい塩梅なのかも知れない。

 紅は地味な白いブラウスの袖をまくり、少しでも涼しくしようとこころみた。

「二ノ宮さん。午後からの会議資料、準備できてる?」

 ぴっちり七三髪に銀縁眼鏡。まさに模範的なお役人といったビジュアルの課長から声をかけられ、紅は作業の手を止めた。

「はい。参加人数分プラス予備が二部で、全部で十五部ですよね。ここに準備できてます」

 紅はデスクの資料を指さしながら答えた。
 宗介の話によると世の企業はどんどんペーパーレス化が進んでいるらしいが、昭和で時が止まったようなこの職場は今でもペーパーが現役で大活躍中だ。

「ありがとう。もう会議室に運んじゃっていいよ」
「わかりました」

 紅が資料を手に立ち上がると、隣の席の後輩である陽菜が一緒に立ち上がった。

「二ノ宮さん! 私がやります」
「大丈夫よ。ちょうど仕事がひと段落したとこだったから。気にしないで」

 陽菜は今年の新人で、紅にとって初めての後輩だった。昨年は新人の配属がなく、紅は二年間ずっと一番下っ端だったのだ。
 運動部出身だと言う彼女は素直ないい子だし、雑用を手伝ってくれる後輩の存在はありがたく、ずいぶんと仕事がしやすくなった。
 
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