婚約破棄するはずが、一夜を共にしたら御曹司の求愛が始まりました
「んじゃ、早川はこっち手伝ってくれよ」

 ふたりのやり取りを見ていた向かいの席の田端が陽菜に助けを求めた。彼は今朝、急に上から回されたデータ分析の仕事におわれていた。

「うん。陽菜ちゃんは田端さんを手伝ってあげて」
「サンキュー、二ノ宮」

 田端は軽く手を上げ、紅に礼を言った。三十二歳の田端はもう若手ではないのかも知れないが、高齢化の激しいこの課では若手扱いだ。実際、紅と一番歳が近いのは彼になる。
 まだ独身でライフスタイルがそう変わらないこともあり、紅にとっては色々と相談しやすい頼りになる先輩だった。

 紅は資料を持って席を離れる。が、そろって声の大きい田端と陽菜のお喋りははっきりと聞き取れてしまう。

「いっつも思ってるんですけど、二ノ宮さんてこの職場似合わないですよね〜」
「そうかぁ?」
「なんか動きひとつひとつが優雅で、上品ですもん。貴族っぽいって言うか……」
「おぅ。なかなか鋭いじゃん、早川」
「え〜? ホントに貴族の……」
「さすがにそこまでじゃないけどさ。二ノ宮、お嬢様なんだよ。本来はこんなオンボロ職場で働くような人種じゃないつーかね」
「あんな事件さえなければね。彼女も宮松も、かわいそうだよね」

 ふたりの雑談に課長まで参戦している。
 田端にしろ課長にしろ、いい人ではあるが口が軽すぎるのは公務員としてどうなのかと、紅は常々疑問に思っている。
 これで、陽菜も【あんな事件】と紅の関係を知ってしまうことになるだろう。
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