君といた夏を忘れない〜冷徹専務の溺愛〜
「本日より専務の秘書を務めます、相沢楓です。よろしくお願いいたします」

 中川課長の引継ぎは完璧で、あっという間に専務の秘書となる日を迎えてしまった。
 今日は朝から専務の執務室でご挨拶だ。まともに話すのは倒れた時の病室以来で緊張する。

「あぁ。病み上がりに突然の異動ですまない。君の負担が少しでも減るよう気を付けるが、体調が優れない場合は速やかに報告してくれ」
「は、はい」

 どうやら専務が私をクビにしないのは本当のようだ。それどころか、私の体調まで気にかけてくださった。少し冷たい印象だったけれど、本当は優しい方なのかも。

「じゃあこれ」

 専務が胸ポケットから出したのは、カードキーだった。引継ぎの際には聞いていない。分からないが差し出されているのでとりあえず受け取る。

「専務、あの、これは……」
「俺の家のカードキー。俺、人に起こされないと起きないから。朝これで入って起こしてくれ」
「は、はい……?」

 中川課長~! 目覚まし係もするだなんて聞いてませんよ! と心中で叫びつつ、笑顔でカードキーを手帳のポケットにしまう。人に見られないようにしないと!

 その後は、専務の『氷の御曹司』ぶりに慄いていた。ホテル事業部から出てきた企画書は一刀両断、お客様のクレームに対する叱責と改善策の即実行、新規リゾート計画は地域住民の理解が得られているのか事細かに確認し、見通しが甘いと指摘。更に詳細で念密な計画を立てるよう指示していた。
 
 殆どweb会議だが、画面上の担当者達は手に汗握る会議だろう。ただ、専務の意見は、側から見ても至極真っ当で、説得力のある企画はきちんと通していた。改善策も専務から提示されることもあるし、冷たい印象が強いけれどやはり優しい方なのだと感じた。


***


 翌朝。早速事前に調べた専務の自宅に向かう。2月に入り本格的に寒さが増したこの時期、早朝はまだ太陽が登らず、薄暗くて寒い。
 専務の自宅は、駅前のタワーマンションの最上階だ。もちろんコンシュルジュも常駐していて、目覚まし係でもなんでもしてくれるんじゃないかとも思ったが、考えないことにした。

 エレベーターを降り、目の前に現れた重厚感のある玄関にカードキーをかざすと、ドアが開錠される。高級感溢れるものばかりで、触るのも緊張してしまう。
 だが、ドアの解錠の仕方も、ドアを開けた先の室内の景色も、何故か見覚えがある気がした。

「お、お邪魔します……」

 靴を脱ぎ、寝室を探す。なんとなく開けたドアが寝室だった。大きなキングサイズのベッドに、ぐっすりと寝ている専務を発見。これは全女子社員に恨まれても仕方がない気がしてきた。

 眠っていても溢れ出る色気。長い睫毛と閉じた唇がセクシーで、朝日を浴びて輝いている! 寝ていても完璧なんてズルい。

「専務、おはようございます……」

 触るのもなんだか気が引けて、なんとなく小さな声で話しかける。だが、少し顔をしかめただけで、専務が起きる気配がない。確かに目覚ましで自力で起きれない人が声をかけただけじゃ起きないか……。
 恐る恐る先程よりは大きめの声量で、声を掛けてみる。

「せ、専務? あ、朝ですよー!」
「……かえで……」
「えっ」

(私の、名前?)

 何故専務が私の下の名前を呼ぶのか。別人で同名の知り合いでもいるのだろうか。そんな思案をしていると、急に頭痛が襲ってきた。すると、頭の中に映像が浮かぶ。


 今と同じ部屋で、誰か(・・)が眠っている。そこに私の声が響く。

『もう~起きてください! 朝ですよ!』
『──さん、朝ごはん作りましたよ』
『起きてくださーい! もう! 本当起きないんだから』


(なに……これ……)

「うぅっ! ……っ!!」

 激しい頭痛と流れてくる映像に戸惑い、思わずその場に崩れ落ちた。頭の中の映像は続いていて、ベッドで眠っていた誰かが私の声で目を覚ました。もぞもぞと起き上がるとその顔がはっきり見えて驚く。──どういうこと?


『もう、遼一さんってば!』
『んん……おはよ、楓……』


(なんで専務が……?)
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