君といた夏を忘れない〜冷徹専務の溺愛〜
5 謹んで辞退いたします
 私が専務の秘書となった噂は、すぐに社内を駆け巡った。幸い、嫌がらせをしてくるような人はいないけれど、ひそひそと噂されているのは感じている。

 専務は噂通り『氷の御曹司』ぶりを発揮し、少しでも気の緩みや生半可な企画があれば一刀両断。
 そのお陰か、浮き足立った雰囲気も収まり、皆粛々と仕事をしている。

「はぁ……」
「今度はどうしたのよ、楓」

 秘書室で盛大にため息をつく私に、麻紀が面白がって聞いてきた。

「なんかもう色々あって……」
「飲みにでも行きたいけど、専務は帰国直後だから接待ばかりでしょ。お疲れ様〜」

 そうなのだ。麻紀に何もかも相談してしまいたいのに、専務は朝から晩までスケジュールぎっしり。最近は朝も昼も夜も専務と食事を供にしている。

いや、接待のない日もあるのに、何故か私の好物が食べられるお店を予約してくださるのだ……。
 しかもその度、甘い言葉や態度で好意を示してくるので、何だかもう困惑してばかり。
 
「その上、来週泊まりで出張なのよ……。女子社員に知れたらなんて言われるか」
「もう遅いでしょ」
「はははは……」

 麻紀にバッサリ切り捨てられて、私は乾いた笑いを返すしかなかった。



「新幹線の座席は楓の隣。部屋は別で構わないが隣同士。これは譲れない」
「は、はい……」

 出張に向けて新幹線とホテルの手配をする為、要望を聞くとこんな返事が返ってきた。私が年下で疾患があるからって、過保護すぎる気がする。

 今回は専務が帰国前から取り組んできた、『城ヶ崎ホテル&リゾート京都』のリニューアルプロジェクトが完了し、その完成披露パーティーに出席する為の出張だ。このパーティーで専務は来客者に向けて挨拶をする予定だ。

「お前のドレスは一緒に買いに行く。明日あたり時間を空けておいてくれ」
「以前に購入したものがありますが……」
「遠慮はするな。俺がお前を着飾りたい」
「〜っ!」
「婚約指輪も買ってやろうか」
「けっ、結構ですっ!」

 専務は笑いながら執務に戻る。こういうジョークを言う人だとは思わなかった。普段の仕事はかなり手厳しい。一切の妥協は許さず、まさに氷の御曹司。

 だからこそ、二人きりのときの甘い空気についていけない。そもそも恋愛経験があまり無いのだ。専務の大人の余裕に振り回されている。

 記憶のない一年の間に、専務と何かあったのは間違いない。だが記憶が無いのだ。あれだけのイケメンに、こんな風に絆されて、困惑の日々が続いていた。
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