君といた夏を忘れない〜冷徹専務の溺愛〜
 部屋に戻ってからも頭痛は収まらず、頭の中に流れ込んでくる記憶に混乱するばかりだった。

 そして、その夜遅く、遼一さんが部屋に訪ねてきたようだったが出なかった。着信も何度もあったが、『体調が優れず明日は別便で帰宅します』とメールをして電話には出なかった。

──思い出してしまったから。

***

 3年前の夏。専務が本社にやってきた。その時も、今回のように社内は色めきだっていた。
 私は高林部長の秘書だったが、専務の秘書である中川課長と高林部長がご夫妻であることもあり、専務と食事をご一緒する機会が多くなっていった。
 
 専務は今より物腰柔らかな印象で、私に対しても優しく接してくださった。品行方正、容姿端麗、完璧な大人の男性。私はあっという間に彼に惹かれていった。
 そして、出会ってすぐの夏の終わりのことだ。

『相沢、好きだ』
『俺のことを、見てほしい』

 まさか、と思った。
 世界が違いすぎる人だ。この恋は叶わないと思っていた。だけど、専務も同じ気持ちだと知り、私は立ち止まることなど出来なかった。

 幸せだった。
 
 雄弁に愛を語るような人じゃない。「好き」と言われたのも、付き合うきっかけとなったその日だけだ。でも、彼が甘い声で「楓」と呼ぶだけで、私は嬉しかった。幸せだった。

 社内で大人気の彼と、お付き合いしていることは秘密にしてほしいと願い出た。遼一さんは『楓が望むなら』と、私の意志を尊重してくれた。

 だけど、自分で望んだことなのに、それが苦しくなっていった。誰にも言えない幸せは、実在しているのか不安に駆られることも多かった。一方で、誰かに知らられば、きっと「お金目的」とか「玉の輿を狙ってる」とか、不釣り合いなことを指摘される気がして怖かった。

 彼からはっきりとした未来の約束を言われたことが無く、『好きだ』と好意を言葉にしてくれないことも私の自信を削いでいった。

 年齢も、役職も、生まれてからのこれまでも。全部違う世界の人。
 私は付き合う中でどんどん不安に陥っていった。
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