君といた夏を忘れない〜冷徹専務の溺愛〜
「専務、こちら受け取っていただけますか」

 出張先から戻った翌日。私は、遼一さんに一通の封筒を差し出していた。

「……なんだ、これは」
「退職願です」
「それくらい見れば分かる! 何故、これを今出すんだ?!」

 遼一さんが怒っている。
 でも私、もう、貴方と向き合うのが、怖い。逃げたい。

「──思い出しました」

 遼一さんが真っ直ぐ私を見つめた。期待を込めたその瞳が、今は辛い。

「私、あの日、記憶を無くした日、遼一さんにお別れを言うために走ってました」
「!?」
「今も、あの時も、同じ気持ちです。貴方の側から離れたい。それだけです」

 遼一さんの顔が曇っていく。ここで私が泣いてはいけないと思い、ぐっと歯を食い縛る。

「ごめんなさい」

 手渡しでは受け取ってもらえなかったので、退職届を執務机に置いた。遼一さんは何も言わなかった。一礼して退室しても、追いかけて来ない。それが答えなのだろう。

 早朝なのでまだ誰も出社していない。麻紀に説明出来ないままだったが、落ち着いたら連絡するとメモを残した。まだ泣くな、泣くなと言い聞かせて荷物を整理する。私物は思ったよりも少なかった。

 本社ビルを出たところで、涙が溢れた。

 私の記憶は随分戻ってきていた。殆どが大切に愛されていた思い出ばかり。

 だけど、守られて、甘やかされてばかりの、年下の私では、遼一さんの側にはいられない。

 何より、奥様になる方とあんなに可愛らしい女の子が居るんだもの。どうして今まで結婚していないのか分からないけれど、あの子の為にも、私は身を引くべきだ。

(頭が……痛い……)

 頭痛とともに蘇る、遼一さんの思い出に、私はただただ涙するしかなかった。
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