いつかのエチュード
大学病院内の食堂で偶然和樹と一緒になりエレベーターホールまで一緒に歩いていたときだった。
そこで教授と話していたのは見知らぬ女性だった。女性はマスタードイエローのトップスに紺色のワイドパンツで、ダークブラウンのショルダーバッグを肩にかけたままだった。学生という感じはしないし、製薬会社の営業の人にしてはカジュアルだなあと思っていると、横に立っていた和樹がすぐに声を上げた。
「由香!」
目の前の小柄なかわいらしい女性は顔を顰め、そして耳たぶをつまんだかと思うときつい口調で言った。
「桜井先輩と呼びなさい」
イテテテ、と、大きな体を傾けて漫画のように痛がる姿に思わず笑いそうになりながらも、目の前の女性が誰なのかわからない夏海はどんな表情をしたらいいのかと戸惑っていた。
すると女性は丁寧に笑って言った。
「卒業生の桜井です。今は地元の山形で産婦人科医をしていて、今日は用事があって少し教授のところに来たの。」
年齢は三十代前半だろうか。小柄で、丸い目をしていてかわいらしくて、肩までの柔らかそうな髪の毛を軽く揺らして、爽やかな女性だった。和樹とは知り合いなのだろうか。そんなことを思いながら夏海は礼儀的に頭を下げる。
「なんだよ、来るなら連絡してよ。いつまでいんの?兄貴に会う?」
兄貴?和樹のお兄さんとも知り合いなのだろうか?
そう思っていると、桜井さんが言った。
「明日の午後には帰るわよ。用事も特にないしね」
付け足すように、地方にいても、今って特に不自由しないの、と呟いた。
そっか、と言いながら、和樹が一瞬だけ夏海を見た。目が合うと夏海は一度大きく瞬きをした。何?という顔をしただろう。そんな夏海を見て笑った和樹が言う。
「昼の予定ないなら一緒しよう、夏海も。先輩の話聞きたいだろうし」
和樹の言葉に一瞬目を丸くしたことは、その桜井さんには見られなかったと思う。
慌ただしい雰囲気の中で「じゃあ十二時に丸ビルのビストロで」と約束をして、その場は解散した。
二人きりになったエレベーターの中で和樹は言った。
「由香は地元で産婦人科医としてバリバリ活躍してるから、参考になるかも」
そう言われて、ああ、うん、そっか。わかった。じゃあ明日の昼にと返事をして夏海は自分の仕事に戻る。
一人になって、そのことについて改めて考えてみる。先ほどの女性、桜井先輩、その由香さんと、和樹と、自分の三人で昼食をともにするのだ。妙な光景じゃないだろうか、と、夏海は思う。
和樹と彼女はそれなりに親しい仲のように見えたが、夏海はどうやってそこに溶け込めばいいのだろう。話によれば産婦人科医ということだから、そういった専門の分野について話をすればいいのだろうか。
私が進路について本当は悩んでいることも和樹はわかっていてのことかと思うと、おせっかいなようにも、感謝したくなるようにも思う。同時に、もうこの道以外はないのかもしれないという圧力についても考える。逃げ場所はいつだって用意しておきたいというのが小心者の本音だった。
そこで教授と話していたのは見知らぬ女性だった。女性はマスタードイエローのトップスに紺色のワイドパンツで、ダークブラウンのショルダーバッグを肩にかけたままだった。学生という感じはしないし、製薬会社の営業の人にしてはカジュアルだなあと思っていると、横に立っていた和樹がすぐに声を上げた。
「由香!」
目の前の小柄なかわいらしい女性は顔を顰め、そして耳たぶをつまんだかと思うときつい口調で言った。
「桜井先輩と呼びなさい」
イテテテ、と、大きな体を傾けて漫画のように痛がる姿に思わず笑いそうになりながらも、目の前の女性が誰なのかわからない夏海はどんな表情をしたらいいのかと戸惑っていた。
すると女性は丁寧に笑って言った。
「卒業生の桜井です。今は地元の山形で産婦人科医をしていて、今日は用事があって少し教授のところに来たの。」
年齢は三十代前半だろうか。小柄で、丸い目をしていてかわいらしくて、肩までの柔らかそうな髪の毛を軽く揺らして、爽やかな女性だった。和樹とは知り合いなのだろうか。そんなことを思いながら夏海は礼儀的に頭を下げる。
「なんだよ、来るなら連絡してよ。いつまでいんの?兄貴に会う?」
兄貴?和樹のお兄さんとも知り合いなのだろうか?
そう思っていると、桜井さんが言った。
「明日の午後には帰るわよ。用事も特にないしね」
付け足すように、地方にいても、今って特に不自由しないの、と呟いた。
そっか、と言いながら、和樹が一瞬だけ夏海を見た。目が合うと夏海は一度大きく瞬きをした。何?という顔をしただろう。そんな夏海を見て笑った和樹が言う。
「昼の予定ないなら一緒しよう、夏海も。先輩の話聞きたいだろうし」
和樹の言葉に一瞬目を丸くしたことは、その桜井さんには見られなかったと思う。
慌ただしい雰囲気の中で「じゃあ十二時に丸ビルのビストロで」と約束をして、その場は解散した。
二人きりになったエレベーターの中で和樹は言った。
「由香は地元で産婦人科医としてバリバリ活躍してるから、参考になるかも」
そう言われて、ああ、うん、そっか。わかった。じゃあ明日の昼にと返事をして夏海は自分の仕事に戻る。
一人になって、そのことについて改めて考えてみる。先ほどの女性、桜井先輩、その由香さんと、和樹と、自分の三人で昼食をともにするのだ。妙な光景じゃないだろうか、と、夏海は思う。
和樹と彼女はそれなりに親しい仲のように見えたが、夏海はどうやってそこに溶け込めばいいのだろう。話によれば産婦人科医ということだから、そういった専門の分野について話をすればいいのだろうか。
私が進路について本当は悩んでいることも和樹はわかっていてのことかと思うと、おせっかいなようにも、感謝したくなるようにも思う。同時に、もうこの道以外はないのかもしれないという圧力についても考える。逃げ場所はいつだって用意しておきたいというのが小心者の本音だった。