耽溺愛2-クールな准教授と暮らしていますー

感情の高ぶりのままダイニングを飛び出した美寧は、廊下を挟んだ向かい側の自室に飛び込んだ。その勢いのまま、何もない畳の上にそのまま突っ伏す。

(お兄さま、ひどい………)

いくら美寧のことが心配だからと言っても、勝手に身辺を探られるのは気持ちの良いものではない。更に怜が美寧のことを『そそのかした』『たぶらかした』とまで言ったのだ。まるで怜が美寧の“害”だと言わんばかりに。

(れいちゃんのこと、嫌な気持ちにさせちゃったよね………)

申し訳ないという気持ちと同時に、恐怖に似たものが腹の底からじわじわと込み上げてくる。

(きっと……私がついた“嘘”にも…………)

本当は兄が来た時からそのことを怖れていた。
いや、本当はもっと前からずっと美寧の意識の奥で引っかかっていた。『杵島』と、偽りの姓を名乗っていることに———

昼間の颯介に詰め寄られた時に、彼が言おうとしていたのはそのことかもしれないと、怯えたのだった。


自分が秘密にしていた『当麻』の名前。
それは美寧にとって重たくてたまらない、けれどとても大事な名前。

怜が公園で倒れていた美寧を見つけた時、美寧自身が『ma minette』と名乗ったのだと言ったが、きっと自分は『当麻美寧』と本名を名乗ったのだと思う。高熱で意識が朦朧としていたせいで覚えてはいないが。

けれど、目が覚めて改めて自分の名を口にしようと思った時、とっさに口から祖父の姓である『杵島』を名乗っていた。

『当麻』と名乗れなかったのは、逃げ出した自分に『当麻』を名乗る資格などない。そう無意識のうちにそう判断したから。

そして美寧は、怜との暮らしが楽しくなるにつれて、段々と本当の名字(こと)を言い出せなくなった。

(ここにいることが見つかったら、また連れ戻されるかもしれない)
(連れ戻されたらまた一人ぼっちになってしまう)
(知らない人のところに嫁がされるなんてイヤ)

一旦考え出すとそんな暗い考えに捕らわれてしまい、美寧はもう自分が『当麻』であることを忘れることにした。

『当麻美寧』を捨て、『杵島美寧』としてずっとここで暮らしていきたい———許されるならずっと、怜と。

そうして数か月経った今。
自分が背けていたものを突き付けられた形で、怜にそれを知られてしまった。

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