耽溺愛2-クールな准教授と暮らしていますー
歌寿子は美寧が生まれる前から祖父に仕える家政婦だ。

大阪生まれの彼女の口からは、時々耳馴染みのない言葉が出てくる。美寧は自分のことを『いとさん』と呼ぶのを、歌寿子の口以外から聞いたことがなかった。

幼い時、そのことを不思議に思って訊ねてみると、『いとさん』と言うのは、『お嬢様』のことだと教えてくれた。それは、彼女の郷里(さと)でも、古くから続く商家でしか使われることはないらしい。

今、その少し古めかしいその言葉が懐かしく耳に響くのは、長い間彼女とすごしてきたからだろう。美寧が藤波家の裏に住む花江に親しみを感じるのは、歌寿子の言葉と少し似ていたからだった。


思った通り、美寧が風呂から上がると、歌寿子は美寧の髪を乾かし、丁寧にブラシで()いた。そして、「もう遅いから話はまた明日」と言われ部屋に送り込まれる。
祖父の生前、通いの家政婦だった歌寿子は、近所の自宅にもう戻っているだろう。

昔から“自室”だったその部屋は、美寧が出ていった時と全く変わっておらず、何の問題もなくそのまま生活出来るようになっていた。父の家に帰ったのは夏の初めだったのに、布団はきちんと“冬用”になっていて、一年半もの時間を留守にしていたとは思えない。

祖父と暮らしていた時と何ら変わることのない、“日常”そのもの。そのことに美寧は、まるで昨日も一昨日もずっとそうしていたかのような錯覚をおぼえてしまう。

目を閉じて眠ったら、これまでのことはすべて夢で、起きたらいつものように(・・・・・・・)祖父が「おはよう」と言ってくれるかもしれない。
そんな気にすらなってきて、そうなればいいのに、と布団の中で目を閉じてみる。
けれど一向に眠りにつけない。

タクシーの中で眠ってしまったせいなのか、神経が高ぶっているせいなのか。
いつまで経っても眠気は訪れず、とうとう美寧は眠ることを諦めて、部屋をそっと抜け出した。


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