年下ピアニストの蜜愛エチュード
 今日はとても楽しかったが、こんなふうに彼とおしゃべりすることはもうないだろう。町角で偶然顔を合わせれば、もちろん挨拶くらいはしてくれるだろうけれど。

「じゃあ、私はチャオチャオで着替えさせていただきます。洋服はあちらに届けてくださるって、お店の方が言っていたので。いろいろありがとうございました」

 千晶が頭を下げた時、「三嶋さん」と呼びかけられた。

「はい?」

「三嶋さんはえらいですね。すごくしっかりしてるし、ちゃんと順くんの面倒を見ている。彼、甥御さんなんでしょう?」

「そうですけど……どうしてご存じなんですか?」

「順くんから聞きました。彼のご両親が亡くなられたことも」

 順はアンジェロにすっかりなついた様子だったが、いつの間にそんな話までしたのだろう? チャオチャオを出る前に保育園のママ友から行事のことで電話が入り、座を外して少しおしゃべりしたが、その時だろうか?

「僕とは全然違う。とてもあこがれます」

「そんな大げさですよ。アンジェロさんこそすばらしいピアニストじゃないですか」

「いいえ!」

 ただの社交辞令だと思ったのに、アンジェロは足を止めて、たじろぐくらいまっすぐな視線を向けてきた。

 気がつけば二人はレジデンスのエントランス前まで来ていた。ここにも大きなジューンベリーがシンボルツリーとして植えられていて、ほの赤く染まり始めている。

「三嶋さんはとてもすてきです。だから、また僕と……会っていただけますか?」

「えっ?」

「今度はもっとゆっくり、いろいろ話してみたいから」

 あまりに思いがけない誘いだった。

 心臓が急に喉元までせり上がってきたみたいで、うまく息ができない。それに鼓動もうるさいくらい高鳴っている。

「でも、どうして? どうして私と?」
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