年下ピアニストの蜜愛エチュード
 それからアンジェロが何度訪ねてきても、千晶は会おうとしなかった。

 自分の存在は彼のためにならない――頑なに、そう思い込んでいたのだ。

 それでもアンジェロはよく連絡してくれたし、来るたびに順と遊んでいった。いつの間にか両親とも仲よくなったが、千晶は譲らなかった。

 そんなある日、順から一通の封筒を渡された。ずっと待っていたのか、帰宅するなり駆け寄ってきたのだ。

「はい、これ。ちあちゃんにお手紙。アンジェロからだよ」

「アンジェロから?」

「今日、遊びに来てくれたんだ。来月からすごく忙しくなるから、しばらく会えないんだって」

 アンジェロを慕う順は「やだなあ」と、ため息をついた。

 封筒は厚手で上質なものだったが、千晶は怪訝に思いながら封筒を開けた。

「これ……?」

 中に入っていたのは、きれいな空色のチケットだった。

 『アンジェロ・潤・デルツィーノ、ピアノリサイタル』と書かれ、開催日と会場、座席番号が記されている。しかし案内用のチラシや手紙は同封されていなかった。

「リサイタル?」

「うん、しょうたいじょうだって」

 会場は『ベリーヒルズ・ホール』。

 ベリーヒルズビレッジのショッピングモール内にあり、アンジェロ自身があこがれていた室内楽専用ホールだった。

 コンサートが行われるのは来週の日曜の夕方だ。人気のホールで、しばらく先までイベントで埋まっていると聞いた覚えがあるが――。

「絶対来てねって、アンジェロが言ってたよ」

 千晶はとまどいながら、手にしたチケットを見やる。なぜ彼が自分を招待するのかわからなかった。

(でも、そろそろはっきりさせなきゃ)

 近づくまいと思っているのに、千晶はまだアンジェロをあきらめきれずにいる。そんな動揺に気づいているからこそ、彼もまた三嶋家を訪ねてくるのだろう。

「ちゃんと行ってあげてね、ちあちゃん」

「わかった。どうもありがとうね、順」

 今度こそ気持ちを整理して、ただのファンに戻ろう。このリサイタルを、そのきっかけにすればいい。

 千晶は晴れやかに笑って、順の頭を撫でた。
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