ふたりぐらし -マトリカリア 305号室-
そこから発せられた声は、小さかったが、——けれどしっかりと、俺の耳に届いた。
「ちゅーして」
心臓が、一際大きく跳ね上がった。
痛いくらいだった。
「っ、おい……」
そんなこと、したら——。
「だめ?」
甘えるように訊かれて、一瞬、目がくらんだ。
……ほんと、ここまでくると凶悪だな。
必死に頭で言い聞かせながら、忙しなく動く心臓を落ち着かせる。
……証拠を、あげるだけ。
ただそれだけ。
そうすれば、愛花は満足してくれる。
今いる場所が、自分の家ではないことが、唯一の救いだと思った。
こみ上げてくる衝動に耐えるように、前髪を乱して——、
「……ませガキめ」
精一杯の悪態をついてから、俺は愛花に顔を寄せた。