ふたりぐらし -マトリカリア 305号室-
「……どこ行くの」
後ろから聞こえた声に、ビクリと肩を揺らした。
支度に手間取ったせいで、タイミング悪く、脱衣所から出て来たおーちゃんと鉢合わせてしまったみたいだ。
踏み出しかけた足が、固まったように動かない。
「その荷物……帰るのか?」
わたしは、問いかけに答えることも、振り返ることもできなかった。
……今、おーちゃの顔を見たりしたら、せっかくの決意が揺らいでしまう。
ペタペタと裸足で廊下を歩く足音が、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
そして、わたしのすぐ後ろで立ち止まる。
息が小さく吐き出されるのを、背後で感じ取った。
「……俺さ、最近、結花のところに頻繁に通ってるお前を見て、……少し、安心してた。ようやく、前向きに考えられるようになってきたんだ、って……」
おーちゃんが、掠れた声で言った。
「……でも。さっき、結花の部屋で泣いてたお前を見たら……、全然だめだ」
こちらへ踏み込んでくる気配を感じたときには、ドアノブを掴むわたしの手に、おーちゃんの手が覆うように重ねられていた。
そのまま、優しくドアから引き離される。
「……帰るなよ」