ふたりぐらし -マトリカリア 305号室-
……錦くん。
聞こえてきた名前を、つい頭の中で繰り返す。
名前は何度か聞いたことがあるような気がするけれど、顔までは浮かんでこなかった。
じゃり、と砂に指を立てて、そのままぐるぐると動かして線を引く。
……別に聞き耳を立ててるわけじゃないもん……聞こえてきちゃうだけだし……。
誰に責められているわけでもないのに、そう心の中で言い訳をした。
わたしの耳はそのまま、彼女たちの会話に傾いていた。
「うわ、最悪……。そんな男、やめなよ」
「そうだよ。確かに錦、顔はかっこいいけどさあ……」
「汐里、モテるじゃん」
「そうそう。もっと他にいい人いるって」
「第一さあ、待たせるのって、どうなのよ」
「勇気出して告白してんのにねえ」
「わかる。その時点でちょっと、冷めるよねえ」
恋バナだったはずの話題は、徐々に錦くんへの愚痴大会に方向転換していた。
こっそり伺うと、輪の中心にいた汐里ちゃんと、ばちっと目が合ってしまった。