桜の下に立つ人
***

 春の気配を感じる暖かい日のことだった。
 美空が黒板の数式をノートに書き写しているところで、午前の授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。黒板の前に立っていた教師が、「それでは今日はここまで」と言って教室を出ていった。
 窓際の一番後ろの席で授業を受けていた美空は、ノートと教科書を閉じると、ふっと小さくため息をついた。今日もまたこの時間が来てしまった。美空は昼休憩があまり好きではない。避難しなければならないからだ。
 休憩時間に友人と思い思いの場所で昼食をとろうという生徒たちで、教室はにわかに騒がしくなる。美空は持参した弁当を持ってそっと教室を抜け出した。
 廊下を小走りに進んで向かうのは食堂である。食堂には、弁当を持参しない生徒たちが昼休み開始と同時に押し寄せるため、急がないとすぐに席が埋まってしまう。
 特に美空は動作が遅いから、のろのろしているうちに座れる場所がなくなって昼食を食べ損ねかねない。それは避けたかった。
 無表情で人間味がないと言われがちな美空だが、食事をしないと動けなくなるあたりはやはり生身の人間なのである。
 階段を降りて一階にある食堂に美空がやってきたとき、すでに食券売り場には長い列ができていた。生徒の多くは席を確保してから列に並ぶから、席はもうだいぶ埋まってしまっているかもしれない。
 おろおろしながら長テーブルの間を歩いて、美空は空いている席を探す。
 一席くらいなら見つからないこともないのだが、両隣も向かいも知らない人に囲まれての食事というのは気が休まらない。端の席が残ってはいないかと欲を出して、結局なかなか席につくことができなかった。そうしている間にも食堂に入ってくる生徒はいて、席はさらになくなっていく。
 そろそろ諦めてテーブルの中ほどでも座ってしまったほうがいいのだろうか。そう思い始めたときに、その席は見つかった。
 窓際のテーブルの一番奥が空いている。幸運に美空の頬は緩みかけたが、向かいでラーメンをすすっている人物を見て固まった。悠祐だ。
 空席のすぐ近くまでやってきていたのに、美空の足はそこで立ち止まった。
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