桜の下に立つ人
「じゃ、俺は行くけど。あんたは、大丈夫か?」
「……ん。へいき」
「そっか。ならいい」

 階段を下りて、二年生のフロアへと戻る背中を見つめながら、美空の胸はほんの少しチクリとした。
 悠祐が心配したのは、「あの状態の教室に一人で戻れるか」ということだと分かってはいた。けれど、美空は正直な気持ちを言わなかった。
 美空の言葉が足りなくて気持ちを伝えきれないことは多いけれど、食い違いに気が付いていて敢えて黙っていたことはない。しかも、信頼を置いている相手に対して。
 嘘をついたわけじゃない。だから後ろ暗く思う必要なんてないのだろう。けど、どうしてか、悠祐にはありのままの自分でぶつかりたいと思ってしまう。そして、ありのまま受け入れられたい、とも。
 他人に期待することを止めて久しいのに、悠祐は美空をとても欲張りにさせてしまう。いけないことだと思うのに、嬉しいと感じる自分もいて、美空はこの気持ちをどうしたらいいのか分からなかった。
 美空が階段に立ち尽くしていると、間延びしたチャイムの音が始業時間の五分前を知らせる。
 自分のすべきことを思い出した美空は、ポケットにパスケースが入っていることを確認して、そっと昇降口に向かった。
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