桜の下に立つ人
 道路をひた走り、校門を抜け、昇降口に至り、靴を替える一瞬だけ立ち止まる。走り続けた肺が息苦しさを訴えるが、感覚が麻痺してしまったのか気にならない。
 廊下の途中の通用口から屋外に出ると、特別教室棟が目前に建っていて、マットの敷かれた渡り廊下が一般教室棟との間をつないでいる。
 美空は渡り廊下を進みながら、特別教室棟一階の美術室をちらりと見た。離れているせいで中の様子を窺い知ることはできない。
 渡り廊下の先の扉から再度屋内に入った美空は、ラストスパートとばかりに特別教室棟の廊下を端まで駆け抜けた。ぶつかるようにして美術室のドアにたどり着き、勢いそのままに戸を引いた。

「先輩!」

 静寂に包まれた室内に、美空の切羽詰まった声が響いて、一瞬ののちにかき消えた。あまりに人の気配がないので、悠祐は来てくれなかったのかと落胆しそうになった。
 けれど、彼はきちんとそこにいた。無生物の備品の中に溶け込んで微動だにしない広い背中が、掲示板に張り出された美空の絵の前に佇んでいた。
 悠祐に絵を見られていることを意識して、美空の気分は高揚した。
 掲示されている絵は、昨日まで出ていた校庭の絵とは違う。美空がここ数日寝る間も惜しんで描いた絵だ。
 夕べの帰り際、生徒が全員帰宅したあとに張り替えてほしいと葉山に頼んでいたのだ。誰よりも先に悠祐にこの絵を見せたかった。

「せんぱ……」
「あんたさ」

 同時に声を発して、さっと譲った美空に対し、悠祐は引かなかった。

「なんなんだよ、これ」

 感情をこらえている様子で、端的な言葉が鋭い。
 美空は叱責を受けることを覚悟した。悠祐があれほど嫌がっていたモデルの絵を、美空は無断で描きあげたのだから。
 それでも絵に乗せた想いを悠祐が拾い上げてくれる可能性に美空は賭けたのだ。
 もしかすると美空は、賭けに負けたのだろうか。
 結果を粛々と受け入れる心構えを密かに固めていたところで、悠祐が振り返った。
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