桜の下に立つ人
「あんたさ……なんで、俺に、ここまでするんだよっ」

 彼の顔は赤かった。
 怒りの赤ではなくて、羞恥の赤だ。いや、興奮の赤かもしれない。

「……そうしたかった……から……」

 思ったままを口にして、美空は曖昧に首を傾げた。美空自身もよく分かっていないのだ。
 伝えたい。分かってほしい。嫌われたくない。
 思えば、悠祐に対しては、願望ばかりだ。他人に期待することはとっくに止めたはずなのに、悠祐に対してはどうしてかいつもどおりでいられない。美空のほうがその理由を知りたいくらいだ。

「浅井先輩は、どうして、私の心にこんなに……入り込んでくるんですか……?」

 純粋な気持ちで訊ねたのに、悠祐はぎょっと目をむいたあと耳まで赤くなった。

「知らねえよそんなの!」

 結局怒られてしまった。けれどこれは恐れる必要のない怒りなのだと、美空は悠祐と過ごした短い時間の積み重ねで察していた。むしろ、慕わしささえ覚えてしまう。
 真っ赤になった悠祐は、床に視線を落としたまま戸惑っているようだ。

「あんたが、伝えたかったこと……分かるよ。俺の野球を目に見える形に残してくれようとしたんだよな。前に張ってあったのとは、全然違う。
 ――だけど、こんなふうにされると、ちょっと、誤解、しそうになる……」
「……誤解?」
「だから、その……俺は、あんたにとって、特別、なのか、とか……」

 途切れ途切れの口調は、美空の話し方が移ってしまったみたいだ。

「とくべつ、です……」

 悩むまでもなく、答えは自然と出ていた。
 美空の心をここまで揺り動かす人は他にいない。彼を特別と言わずして誰を特別と言うのだろう。悠祐はもはや美空にとって別格の存在だった。
 それなのに、悠祐はまた苛立ったように怒鳴る。
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