桜の下に立つ人
 やっぱり、「描きたいもの」だ。美空には分からないなにか。
 強く心を惹かれたから男子生徒の絵を描いた。でも葉山はそれだけでは足りないという。
 目に見えた風景をそのまま映しとるだけでは駄目で、もっとそこに美空自身で加えないといけないものがある。きっとそれが、他の作品にはある「キラキラ」で、夏の日の野球のような、他の人と分かち合えるものなのだ。

「がんばって、みます」

 立ち上がって折り目正しくお辞儀をすると、美空はスケッチブックとプリントを抱え、ぼんやりした足取りで美術室に戻った。葉山の言葉と絵のことで美空の頭はいっぱいだった。
 再度小さなドアを開けて美術室に踏み込むと、面談の前まで静かだったはずのそこには、楽しげな話し声が響いていた。
 部屋の真ん中に女子部員たちが集まっている。そして、彼女たちに囲まれた中央に、ぬっと頭一つ分突き抜けた男子生徒の背中があった。
 背後からでも分かるがっしりとした体格は、美術部員のものではない。

「誰……?」

 美空の口から思わずこぼれた呟きに気がついて、手前にいた竹本が振り返った。

「あ、結城さん。面談終わったんだ。今ね、モデルを引き受けてくれるっていう人を見つけたから、皆に紹介していたの」
「モデル? ――あ」

 美空が背の高い彼を振り仰ぐと同時に、彼もまたこちらを向いて視線がぶつかる。
 美空の瞳が見開かれた。彼もなぜか息を呑んで目を丸くする。しかし、美空の驚きは彼の比ではなかった。

「桜の、木の……!」
「え?」

 桜の木がなんだと一様にきょとんとした部員たちに囲まれながら、美空は開きっぱなしで小脇に抱えていたスケッチブックを前に出す。

「これ……私が、描いた……の。いつも、あの桜のところに、います……よ、ね?」

 初めての人を前にあたふたと懸命に言葉を紡いで、美空は窓の向こうの桜を指さした。そして、彼に問うような視線を送る。
 しかし、彼の眉間がみるみる深い皺をつくっていくのを目にして、美空はひるんだ。
 遠くの小さな桜とスケッチブックを無言で見比べていた彼は、はあ、と聞こえよがしな溜息をついたかと思うと、美空の手からスケッチブックを奪い取った。そして、桜と自身が描かれたページをつかみとり、びりりと荒っぽい手つきで破ってしまった。
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