時が満ちる
司馬遼太郎の著作に「峠」と言う本上と下がある。
上の中に私の人生を変えた一説がある・・
ある侍が世界の情勢を掴むために
吉原に次ぐ赤線遊郭地帯が深川にあった。
今は深川洲崎弁天町・・江東区東陽一丁目あたりの
ある宿に宿泊し・・酒に浸る毎日であったが
そこで言ったあるひと言が私の人生を変えた。
「いくら酒に溺れても魂までは溺れない。」と
このひと言の表面を読めば「あ~そうか。」で
終わるかもしれない・・
このひと言に潜む侍の野望と生きる指標・・・が
限りなくあれやこれやと想像できる・・・・ひと言である。
高鳴る心を抑えながら
燃える夕焼けを観る・・
指先から頭の芯まで・・・熱くなる時
血が燃える・・・
胸が高鳴り涙を誘う・・
震える唇から・・
待てど暮らせど来ぬ人を・・・
宵待ち草のやるせなさ・・・
何日待っただろう・・・あの人を追いかけて・・
山の彼方を見詰めながら呼んでみる・・
「瑤子さん」
もう会えない・・・
待つ気持ちには変わりはない・・
知っているだろうかこの気持ちを・・
最後に聞いた言葉・・・
「飽きやすい私なの。」
そんな人と巡り合った。
愛ではない・・信じたかったのだ。
奥深い心象の短歌を詠む瑤子ちゃんだから・・
歌に魂が観えたの・・・
詩に・・・熱い抒情を感じたの・・・
短歌は短いドラマでしょ・・
三十一文字に中に血が燃えて居たよ・・
歌は風景が迫ってくるだけの表現ではないよね。
赤い血脈が流れて居るよね。