君はまるで金木犀
いつも通りのHRが終わり、当然のように3号棟へ向かおうと立ち上がる僕。
帰宅部であり、いかにして早く帰ろうかを常に考えていた僕の驚くべき変化に、親友である 俊太(しゅんた) も驚きを隠せないようだった。
「今日も行くのかよ」
『あぁ』
「よく飽きねえよな、本も読まないんだろ?」
『お前も来てみればわかるって』
「顧問が許すと思うかよ、夕陽が差す絶景を見てくるので部活遅れますなんて」
『ぶちぎれられて終わりだな』
「分かってるなら言うなって、」
楽しそうにそう言ってエナメルバッグを肩にかけ教室を後にした俊太が、尊敬してしまうほどに時間を費やしているのがサッカーである。
小さい頃から地元のチームでスキルを磨き、中学校では都の選抜選手にも選ばれたと聞いた。
そんな生粋のサッカー少年を見送り、僕も3号棟へ足を進める。
少しの移動教室でさえ憂鬱な気分になっていた僕だが、あの空間を味わえると思えば足取りが自然に軽くなるから不思議だ。
あの景色は、気付かぬ間に僕の全身までを虜にしていたらしい。
少しさびれた扉の取っ手に手をかけ、特有の異音に少し顔を歪ませながら開ける。
顔を上げると、そこは今までの景色とは違っていた。
いや、今までの景色にまたひとつ、新しいものが加えられていた。
風になびいた美しい黒髪。
なんだか僕の視界全面が、
有名な画家のキャンパスかのようにも見えた。
思わず見とれてしまうほどの美しい髪の持ち主の視線の先もまた、僕が求めていた景色だった。
ゆっくりと振り返る彼女。
彼女自身の顔も、髪に負けないほど・・・
いや、比べ物にならないほど美しかった。
時間が止まったかのように何も喋らない僕と彼女。
先に口を開いたのは、
「・・・誰?」
透き通った声で、それでいて言葉は少しぶっきらぼうな彼女だった。
『・・・っ、城野、望です・・・』
何を思っているのか分からない表情に動揺しながらも、彼女からの質問には答えることが出来た。
自分から質問したはずの彼女は、僕の言葉に返事をしなかった。
ただただ、美しい瞳で僕を見つめるだけ。
その状況がどのくらい続いただろうか。
この空気にいたたまれなくなった僕がつい口を開いた。
『・・・あなたは?』
彼女はすぐには答えることなく、少し考える素振りをしてから
「 " リン " 」
と答えた。
『この景色、リンさんもお好きなんですか?』
僕の言葉に、もう一度窓の外に視線を移した彼女。
『・・・綺麗ですもんね、』
そう言うと彼女は振り向き、優しい笑みで
「・・・そうね、すごく」
と言った。
長い期間動くことのなかった僕の胸が、
とくんと高鳴った気がした。