今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
第2節
航志朗が運転する車は岸家へと向かっている。車の中の安寿と航志朗はずっと押し黙っていた。安寿は怒っているような航志朗の横顔を見てため息をついた。
(やっと、七か月ぶりに会えたのに……)
安寿はシートベルトを握りしめて、はっきりとした口調で航志朗に謝った。
「航志朗さん。先程は不快な思いをさせてしまって、すいませんでした」
ハンドルを握りながら航志朗がちらっと横目で安寿を見た。安寿は航志朗に向かって言った。
「蒼くん、明日、パリに行くんです。ファッションの勉強をするために」
航志朗はしばらく沈黙してから、安寿に尋ねた。
「君は、彼のことが好きだったんじゃないのか」
航志朗は意図的に過去形を使った。
安寿はうつむきながら答えた。長くなってきた黒髪が安寿の顔を覆い、その表情は見えない。
「はい、好きでした。大切な友だちとして」
航志朗はほっとしたように肩を落としてつぶやいた。
「……そうか」
そして、航志朗は大きくハンドルを切った。
岸家へ向かってはいるが、いつもとは違う知らない道を通っている。視界が開けた平らな土地には小川が流れ、その両岸には畑が広がっている。遠目には住宅地が見えた。
小川の岸辺の空いたスペースに航志朗は車を停めた。
安寿は不思議そうに周辺を見回した。すぐそばの看板には、野菜のイラストとともに「市民農園」と書かれてあった。端境期のためか農園にはほとんど何も栽培されていない。一面にこげ茶色の土が広がり、収穫されずに放っておかれてしなびてしまった白菜や大根がちらほら見えた。
ところどころに咲いた菜の花が目に入った。その色鮮やかな黄色と黄緑色を見て、安寿はアトリエに行って絵の続きを描きたいと思った。
安寿と航志朗はシートベルトを外した。航志朗はミネラルウォーターを飲んで、安寿に手渡した。安寿もそれをひと口飲んだ。車の窓の外を見て安寿がつぶやいた。
「あの小川の水、きれいですね」
浅いのか深いのかここからではまったくわからないが、意外に流れの速い小川は、真上から差す太陽の光を反射してきらきらと輝いている。
航志朗は安寿の肩ごしに小川を見て言った。
「あの小川の水は農業用水に使われている。こちら側の土地は市民農園で、向こう側は農業大学の研究用の農地になっているんだ。この道は岸家から駅に向かう最短ルートだよ。俺が中学生の時、毎日、自転車で通っていた」
「そうなんですか。それは知りませんでした。伊藤さんからは住宅街を通って駅に行くようにと言われているので」
「ここは人通りが少ないから、彼は君の安全のためにそう言ったんじゃないのかな」
航志朗は切なそうに安寿を見つめると、突然、安寿を抱き寄せた。安寿は真っ赤になって航志朗の胸に顔をうずめた。本当に久しぶりの航志朗の匂いと温もりだ。この七か月間、どんなに忘れようとしても忘れられなかった。
(今、私は彼の腕の中にいる……)
安寿は航志朗の胸に手を置いてジャケットの襟をつかんだ。航志朗は呼吸を早めて安寿の身体に回した腕の力をだんだん強めていき、身体を震わせながら安寿の背中をまさぐった。安寿は身体じゅうの力がだんだん抜けてきて、あの得体の知れない感覚がわきあがってきた。安寿は航志朗の腕の中で吐息をもらした。もう何も考えられない。航志朗のなすがままに身を任せてしまう。
とうとう安寿は自分を押さえきれなくなって、航志朗の厚い胸に腕を回してきつく抱きついた。たちまち息が苦しくなってくる。安寿は肩を上げ下げして荒い呼吸になった。航志朗は安寿のそのしぐさにたまらないほど身体じゅうがうずいた。
航志朗は安寿の頬を両手でつかんで引き寄せた。目を開けたままの安寿と航志朗はそのまま見つめ合った。そして、ふたりは唇を重ねた。今、互いがやっと遠いへだたりがないここに存在していることを意識した。
ふいに航志朗は唇を離してうめき声をもらした。
「安寿、会いたかった。ずっと、ずっと、君に会いたかった」
安寿は頬を紅潮させながら優しいまなざしで微笑んだ。航志朗はその笑顔に身も心も安寿が欲しいと思った。ふたりはまた唇を重ねてきつく抱き合った。ゆっくりと航志朗は安寿の唇を開いていき、その甘く柔らかい舌をからめとって吸いはじめた。安寿はその行為をそのまま受け入れて、航志朗の舌の動きに合わせた。航志朗はくすっと笑ってささやいた。
「安寿、ずいぶんキスが上手になったんだな。よそで練習していないよな?」
唇を離した安寿が頬をふくらませて言った。
「航志朗さんのおかげですよ!」
航志朗は肩を震わせてくすくす笑った。そして、目を細めて「安寿、もっと、もっと、君とキスしたい」と安寿の耳元でささやいてその身体に腕を回し、顔を傾けてまた口づけた。
そのまま航志朗は手を伸ばしてリクライニングレバーを引き、助手席の背もたれを安寿ごと押し倒した。驚いた安寿は小さな悲鳴をあげたが、のしかかって来た航志朗にしがみついた。ふたりはきつく抱き合いながら目を閉じてキスし合った。
(やっと、七か月ぶりに会えたのに……)
安寿はシートベルトを握りしめて、はっきりとした口調で航志朗に謝った。
「航志朗さん。先程は不快な思いをさせてしまって、すいませんでした」
ハンドルを握りながら航志朗がちらっと横目で安寿を見た。安寿は航志朗に向かって言った。
「蒼くん、明日、パリに行くんです。ファッションの勉強をするために」
航志朗はしばらく沈黙してから、安寿に尋ねた。
「君は、彼のことが好きだったんじゃないのか」
航志朗は意図的に過去形を使った。
安寿はうつむきながら答えた。長くなってきた黒髪が安寿の顔を覆い、その表情は見えない。
「はい、好きでした。大切な友だちとして」
航志朗はほっとしたように肩を落としてつぶやいた。
「……そうか」
そして、航志朗は大きくハンドルを切った。
岸家へ向かってはいるが、いつもとは違う知らない道を通っている。視界が開けた平らな土地には小川が流れ、その両岸には畑が広がっている。遠目には住宅地が見えた。
小川の岸辺の空いたスペースに航志朗は車を停めた。
安寿は不思議そうに周辺を見回した。すぐそばの看板には、野菜のイラストとともに「市民農園」と書かれてあった。端境期のためか農園にはほとんど何も栽培されていない。一面にこげ茶色の土が広がり、収穫されずに放っておかれてしなびてしまった白菜や大根がちらほら見えた。
ところどころに咲いた菜の花が目に入った。その色鮮やかな黄色と黄緑色を見て、安寿はアトリエに行って絵の続きを描きたいと思った。
安寿と航志朗はシートベルトを外した。航志朗はミネラルウォーターを飲んで、安寿に手渡した。安寿もそれをひと口飲んだ。車の窓の外を見て安寿がつぶやいた。
「あの小川の水、きれいですね」
浅いのか深いのかここからではまったくわからないが、意外に流れの速い小川は、真上から差す太陽の光を反射してきらきらと輝いている。
航志朗は安寿の肩ごしに小川を見て言った。
「あの小川の水は農業用水に使われている。こちら側の土地は市民農園で、向こう側は農業大学の研究用の農地になっているんだ。この道は岸家から駅に向かう最短ルートだよ。俺が中学生の時、毎日、自転車で通っていた」
「そうなんですか。それは知りませんでした。伊藤さんからは住宅街を通って駅に行くようにと言われているので」
「ここは人通りが少ないから、彼は君の安全のためにそう言ったんじゃないのかな」
航志朗は切なそうに安寿を見つめると、突然、安寿を抱き寄せた。安寿は真っ赤になって航志朗の胸に顔をうずめた。本当に久しぶりの航志朗の匂いと温もりだ。この七か月間、どんなに忘れようとしても忘れられなかった。
(今、私は彼の腕の中にいる……)
安寿は航志朗の胸に手を置いてジャケットの襟をつかんだ。航志朗は呼吸を早めて安寿の身体に回した腕の力をだんだん強めていき、身体を震わせながら安寿の背中をまさぐった。安寿は身体じゅうの力がだんだん抜けてきて、あの得体の知れない感覚がわきあがってきた。安寿は航志朗の腕の中で吐息をもらした。もう何も考えられない。航志朗のなすがままに身を任せてしまう。
とうとう安寿は自分を押さえきれなくなって、航志朗の厚い胸に腕を回してきつく抱きついた。たちまち息が苦しくなってくる。安寿は肩を上げ下げして荒い呼吸になった。航志朗は安寿のそのしぐさにたまらないほど身体じゅうがうずいた。
航志朗は安寿の頬を両手でつかんで引き寄せた。目を開けたままの安寿と航志朗はそのまま見つめ合った。そして、ふたりは唇を重ねた。今、互いがやっと遠いへだたりがないここに存在していることを意識した。
ふいに航志朗は唇を離してうめき声をもらした。
「安寿、会いたかった。ずっと、ずっと、君に会いたかった」
安寿は頬を紅潮させながら優しいまなざしで微笑んだ。航志朗はその笑顔に身も心も安寿が欲しいと思った。ふたりはまた唇を重ねてきつく抱き合った。ゆっくりと航志朗は安寿の唇を開いていき、その甘く柔らかい舌をからめとって吸いはじめた。安寿はその行為をそのまま受け入れて、航志朗の舌の動きに合わせた。航志朗はくすっと笑ってささやいた。
「安寿、ずいぶんキスが上手になったんだな。よそで練習していないよな?」
唇を離した安寿が頬をふくらませて言った。
「航志朗さんのおかげですよ!」
航志朗は肩を震わせてくすくす笑った。そして、目を細めて「安寿、もっと、もっと、君とキスしたい」と安寿の耳元でささやいてその身体に腕を回し、顔を傾けてまた口づけた。
そのまま航志朗は手を伸ばしてリクライニングレバーを引き、助手席の背もたれを安寿ごと押し倒した。驚いた安寿は小さな悲鳴をあげたが、のしかかって来た航志朗にしがみついた。ふたりはきつく抱き合いながら目を閉じてキスし合った。