今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
午後十時が過ぎた。安寿の絵を描く手は止まらない。あっけにとられたクルルは、「コウシロウ、そろそろアンジュを休ませろよ。アンジュの体調管理も君の仕事だからな」と航志朗に言い残して書斎に退散した。航志朗は時計を見て、軽くため息をついた。そして、シチューとご飯を温め直してからボウルによそってダイニングテーブルに運んだ。
航志朗は安寿の背中にそっと手を置いて言った。
「安寿、今日はここまでにしよう」
「はい。今、何時ですか?」
安寿が夢から覚めたような目をして航志朗を見た。航志朗は困惑した表情を浮かべて言った。
「十時半を過ぎているよ。お腹空いただろ」
安寿はスープスプーンを持って夕食を食べ始めた。いつもよりもずっと早いスピードで口に運ぶ。お腹が空いていることにやっと気づいたらしい。航志朗は隣でそんな安寿の様子を見て苦笑いした。
ふと思いついて航志朗が言った。
「安寿、このご飯っておいしいよな。もちもちしていて甘みが強くて。咲さん、米の品種を変えたのかな」
安寿が笑みを浮かべて嬉しそうに言った。
「航志朗さん、すごい! よくわかりましたね。このご飯、優仁さんの農業法人でつくったお米ですよ。昨年の秋に収穫した新米を優仁さんがたくさん送ってくれたんです。玄米だから咲さんがご飯を炊くたびに精米しているんですよ」
そして、安寿は目を潤ませながら興奮気味に報告した。
「それに、恵ちゃん、お腹に赤ちゃんがいるんです。今、七か月なんです。六月に生まれるんですよ!」
目を細めた航志朗は微笑んで言った。
「そうか、よかったな。安寿、もうすぐ君は叔母さんになるんだな」
安寿は可笑しそうに笑って訂正した。
「違いますよ、航志朗さん。恵ちゃんのお腹の赤ちゃんは、私の従弟ですよ」
航志朗は額に手を当てて言った。
「あ、そうか」
航志朗にうながされて安寿は着替えを持ってバスルームに行った。航志朗は夕食の後片づけをしながら思った。
(そういえば、ブルーノとマユさんの子どもは、そろそろ生まれるのか? 皆、親になっていくんだな。俺と安寿もいつか……、って、俺は何を考えているんだ!)
航志朗の脳裏に可愛らしい赤ちゃんを抱いて自分に微笑みかけてくる安寿の姿が浮かんだ。思わず下を向いて航志朗は赤くなった。
(その前に、彼女とすることがあるのに……)
航志朗は切なくため息をついた。
午前零時を過ぎて安寿はバスルームから戻って来た。航志朗はダイニングテーブルの上でノートパソコンを開いて仕事をしていた。
航志朗の隣に座った安寿は、航志朗が飲んでいた炭酸水をごくごくとのどを鳴らして飲むと、また鉛筆を握って描き出した。その姿を横目で見て航志朗はため息をついた。
航志朗はノートパソコンを閉じて安寿を横から抱きしめた。そして、鉛筆をそっと安寿の右手から取り上げて言った。
「安寿、眠る時間だ」
航志朗の腕の中で安寿は頬を赤くしてうなずいた。
航志朗は安寿の手を引いて階段を上って行った。七か月ぶりの航志朗のマンションのベッドルームだ。安寿は胸が高鳴ってきた。
ふたりは離れてベッドに横になった。目を固く閉じた航志朗は腕を組んで、身体の奥からわきあがってくる衝動をかろうじて抑えたが、思いがけず安寿のほうが航志朗の左腕にしがみついてきた。一瞬で安寿のギャラリストとしての自制心が粉々に砕かれて、航志朗は思わず安寿を強く抱きしめてしまった。だが、航志朗は軽く安寿の額に口づけると、なんとか身体を離してかすれた声で言った。
「……おやすみ、安寿」
航志朗の言葉に安寿はうなずいた。しかし、安寿は目を閉じた航志朗の横顔を見つめて切実に思った。
(彼に触れていたい……)
安寿は航志朗のそばにおずおずと近寄って航志朗の左手を両手で握った。そして、その腕に頬をこすりつけてから目を閉じた。
柔らかい安寿の温もりに航志朗は心が安らいだ。航志朗は右手で安寿の髪を優しくなでた。安寿は目を閉じながら気持ちよさそうに微笑んだ。やがて、安寿は穏やかな寝息を立てはじめた。航志朗は安寿の寝顔をずっと見つめていた。彼にその夜の眠りが訪れるまで。
航志朗は安寿の背中にそっと手を置いて言った。
「安寿、今日はここまでにしよう」
「はい。今、何時ですか?」
安寿が夢から覚めたような目をして航志朗を見た。航志朗は困惑した表情を浮かべて言った。
「十時半を過ぎているよ。お腹空いただろ」
安寿はスープスプーンを持って夕食を食べ始めた。いつもよりもずっと早いスピードで口に運ぶ。お腹が空いていることにやっと気づいたらしい。航志朗は隣でそんな安寿の様子を見て苦笑いした。
ふと思いついて航志朗が言った。
「安寿、このご飯っておいしいよな。もちもちしていて甘みが強くて。咲さん、米の品種を変えたのかな」
安寿が笑みを浮かべて嬉しそうに言った。
「航志朗さん、すごい! よくわかりましたね。このご飯、優仁さんの農業法人でつくったお米ですよ。昨年の秋に収穫した新米を優仁さんがたくさん送ってくれたんです。玄米だから咲さんがご飯を炊くたびに精米しているんですよ」
そして、安寿は目を潤ませながら興奮気味に報告した。
「それに、恵ちゃん、お腹に赤ちゃんがいるんです。今、七か月なんです。六月に生まれるんですよ!」
目を細めた航志朗は微笑んで言った。
「そうか、よかったな。安寿、もうすぐ君は叔母さんになるんだな」
安寿は可笑しそうに笑って訂正した。
「違いますよ、航志朗さん。恵ちゃんのお腹の赤ちゃんは、私の従弟ですよ」
航志朗は額に手を当てて言った。
「あ、そうか」
航志朗にうながされて安寿は着替えを持ってバスルームに行った。航志朗は夕食の後片づけをしながら思った。
(そういえば、ブルーノとマユさんの子どもは、そろそろ生まれるのか? 皆、親になっていくんだな。俺と安寿もいつか……、って、俺は何を考えているんだ!)
航志朗の脳裏に可愛らしい赤ちゃんを抱いて自分に微笑みかけてくる安寿の姿が浮かんだ。思わず下を向いて航志朗は赤くなった。
(その前に、彼女とすることがあるのに……)
航志朗は切なくため息をついた。
午前零時を過ぎて安寿はバスルームから戻って来た。航志朗はダイニングテーブルの上でノートパソコンを開いて仕事をしていた。
航志朗の隣に座った安寿は、航志朗が飲んでいた炭酸水をごくごくとのどを鳴らして飲むと、また鉛筆を握って描き出した。その姿を横目で見て航志朗はため息をついた。
航志朗はノートパソコンを閉じて安寿を横から抱きしめた。そして、鉛筆をそっと安寿の右手から取り上げて言った。
「安寿、眠る時間だ」
航志朗の腕の中で安寿は頬を赤くしてうなずいた。
航志朗は安寿の手を引いて階段を上って行った。七か月ぶりの航志朗のマンションのベッドルームだ。安寿は胸が高鳴ってきた。
ふたりは離れてベッドに横になった。目を固く閉じた航志朗は腕を組んで、身体の奥からわきあがってくる衝動をかろうじて抑えたが、思いがけず安寿のほうが航志朗の左腕にしがみついてきた。一瞬で安寿のギャラリストとしての自制心が粉々に砕かれて、航志朗は思わず安寿を強く抱きしめてしまった。だが、航志朗は軽く安寿の額に口づけると、なんとか身体を離してかすれた声で言った。
「……おやすみ、安寿」
航志朗の言葉に安寿はうなずいた。しかし、安寿は目を閉じた航志朗の横顔を見つめて切実に思った。
(彼に触れていたい……)
安寿は航志朗のそばにおずおずと近寄って航志朗の左手を両手で握った。そして、その腕に頬をこすりつけてから目を閉じた。
柔らかい安寿の温もりに航志朗は心が安らいだ。航志朗は右手で安寿の髪を優しくなでた。安寿は目を閉じながら気持ちよさそうに微笑んだ。やがて、安寿は穏やかな寝息を立てはじめた。航志朗は安寿の寝顔をずっと見つめていた。彼にその夜の眠りが訪れるまで。