今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
その夜、自室でスケッチブックを広げて安寿は絵を描き出した。だが、すぐに鉛筆を置いてため息をついた。
(私は、明日、十九歳になる。ここで、ひとりぼっちで)
安寿の十九歳の誕生日は日曜日だった。いつもより早めに起きた安寿は、岸家の庭に出て草花のスケッチをしていた。すると、ロートアイアンの門の前に白いワンボックスカーが停まった。中から真っ白な開襟シャツを着た若いハンサムな男が真っ赤なバラの大きな花束を抱えて降りてきた。男は安寿に気づいて尋ねた。
「失礼いたします。フラワーショップの者ですが、こちらに岸安寿さまはいらっしゃいますでしょうか?」
安寿は怪訝そうな表情で言った。
「……私ですが」
「岸航志朗さまからフラワーギフトのご用命をいただいております。本日はお誕生日おめでとうございます」
安寿はぽかんと立ち尽くした。花束を持った男は安寿に爽やかな笑顔を向けた。
口を開けたまま安寿はおぼつかない手つきでバラの花束を受け取った。うっとりと身体じゅうがとろけるような香りに包まれる。いったい全部で何本あるのだろう。誕生日を覚えていてくれた航志朗の心遣いは嬉しいが、心から安寿は申しわけなく思った。
(この花束、きっとものすごく高いんだろうな。いくらするのか見当もつかないけれど)
男はショップカードも安寿に手渡した。そして、安寿の顔をのぞき込むようにして言った。
「バースデーガールさま。そのカードの裏面もきちんとお目をお通しくださいね」
意味ありげにウインクして男は去って行った。
大きな花束を抱えて、安寿は自室に戻った。スマートフォンで、今、航志朗のいるアイスランドが午後十時だということを確かめた。安寿はベッドに腰掛けて航志朗にお礼の電話をしようと思ったが、なかなかスマートフォンの電源を入れられない。すると、いきなり手に持ったスマートフォンが鳴り出した。航志朗からだ。安寿は驚きながらもすぐに画面をタップした。
「……航志朗さん」
その名前を口にするだけで、もう安寿は胸がときめいてしまう。
『安寿、十九歳の誕生日おめでとう! 花束、受け取ってくれたよな。今、配達完了のメールが届いた』
「航志朗さん、ありがとうございます。とても嬉しいです」
『本当は直接渡したかったけど、帰れなくてごめん』
「いえ、そんな謝らないでください」
ふたりの間に沈黙の時間が横たわった。安寿は耳をすませた。遠くで吹きすさぶ荒々しい風の音が聞こえてくるような気がする。今、彼と私はどのくらい離れているのだろうと安寿は思った。
航志朗は一度深いため息をついてから、苦しげな声で言った。
『安寿、君を愛している』
安寿は何も答えられない。沈黙のままだ。航志朗はまた胸の奥から絞り出すような声で言った。
『俺は君を愛しているんだ、安寿』
やっと安寿は返事した。
「……はい」
安寿は胸の内でそっとつぶやいた。
「私もあなたを愛しています」
(本当はそう言いたいけれど、どうしても言えない。だって、もし私のこの本当の想いを伝えてしまったら、私はあなたと離れるのがつらくなって一人で立てなくなってしまうから)
航志朗はどうしても安寿に訊けなかった。
「安寿、君は俺を愛しているのか」と。
通話が終了した後、ふと安寿は花束を持って来たフラワーショップの男の言葉を思い出した。ショップカードを安寿は手に取った。カードを裏返すと、そこには隙間なく小さな文字が印刷されてあった。
それを見た安寿はつぶやいた。
「バラの本数別の花言葉……」
安寿はバラの花束を抱えて本数を数えはじめた。何度も何度も数え直したが、なぜか中途半端な数だ。
(百一本……)
安寿はまたショップカードの裏面を見て口に出した。
「百一本のバラの花言葉、……『これ以上ないほど、あなたを愛しています』」
思わず頬をバラの花以上に赤く染めて、安寿は花束を抱きしめた。
安寿はまたショップカードの裏面に見入った。バラの本数ごとに愛する想いを伝える言葉が並んでいる。安寿はそれを目で追った。そして、ある言葉に目が留まった。安寿はイラストレーションボードをデスクの引き出しから取り出して、下書きもせずにクルルの置き土産のアクリル絵具で絵を描き始めた。それは目の前にある航志朗が贈ってくれた真っ赤なバラの花の絵だ。一輪、一輪、想いを込めて描いていった。描けば描くほど、安寿の心のなかには航志朗への感謝の気持ちがわいてくる。
(航志朗さん。こんな私を愛していると言ってくださって、本当に本当にありがとうございます……)
日曜日の夜遅くに安寿はバラの絵を描き終えた。裏面にメッセージを添えて、月曜日の朝、大学へ向かう途中の郵便局からアイスランドへ向けて航空便で送り出した。
(私は、明日、十九歳になる。ここで、ひとりぼっちで)
安寿の十九歳の誕生日は日曜日だった。いつもより早めに起きた安寿は、岸家の庭に出て草花のスケッチをしていた。すると、ロートアイアンの門の前に白いワンボックスカーが停まった。中から真っ白な開襟シャツを着た若いハンサムな男が真っ赤なバラの大きな花束を抱えて降りてきた。男は安寿に気づいて尋ねた。
「失礼いたします。フラワーショップの者ですが、こちらに岸安寿さまはいらっしゃいますでしょうか?」
安寿は怪訝そうな表情で言った。
「……私ですが」
「岸航志朗さまからフラワーギフトのご用命をいただいております。本日はお誕生日おめでとうございます」
安寿はぽかんと立ち尽くした。花束を持った男は安寿に爽やかな笑顔を向けた。
口を開けたまま安寿はおぼつかない手つきでバラの花束を受け取った。うっとりと身体じゅうがとろけるような香りに包まれる。いったい全部で何本あるのだろう。誕生日を覚えていてくれた航志朗の心遣いは嬉しいが、心から安寿は申しわけなく思った。
(この花束、きっとものすごく高いんだろうな。いくらするのか見当もつかないけれど)
男はショップカードも安寿に手渡した。そして、安寿の顔をのぞき込むようにして言った。
「バースデーガールさま。そのカードの裏面もきちんとお目をお通しくださいね」
意味ありげにウインクして男は去って行った。
大きな花束を抱えて、安寿は自室に戻った。スマートフォンで、今、航志朗のいるアイスランドが午後十時だということを確かめた。安寿はベッドに腰掛けて航志朗にお礼の電話をしようと思ったが、なかなかスマートフォンの電源を入れられない。すると、いきなり手に持ったスマートフォンが鳴り出した。航志朗からだ。安寿は驚きながらもすぐに画面をタップした。
「……航志朗さん」
その名前を口にするだけで、もう安寿は胸がときめいてしまう。
『安寿、十九歳の誕生日おめでとう! 花束、受け取ってくれたよな。今、配達完了のメールが届いた』
「航志朗さん、ありがとうございます。とても嬉しいです」
『本当は直接渡したかったけど、帰れなくてごめん』
「いえ、そんな謝らないでください」
ふたりの間に沈黙の時間が横たわった。安寿は耳をすませた。遠くで吹きすさぶ荒々しい風の音が聞こえてくるような気がする。今、彼と私はどのくらい離れているのだろうと安寿は思った。
航志朗は一度深いため息をついてから、苦しげな声で言った。
『安寿、君を愛している』
安寿は何も答えられない。沈黙のままだ。航志朗はまた胸の奥から絞り出すような声で言った。
『俺は君を愛しているんだ、安寿』
やっと安寿は返事した。
「……はい」
安寿は胸の内でそっとつぶやいた。
「私もあなたを愛しています」
(本当はそう言いたいけれど、どうしても言えない。だって、もし私のこの本当の想いを伝えてしまったら、私はあなたと離れるのがつらくなって一人で立てなくなってしまうから)
航志朗はどうしても安寿に訊けなかった。
「安寿、君は俺を愛しているのか」と。
通話が終了した後、ふと安寿は花束を持って来たフラワーショップの男の言葉を思い出した。ショップカードを安寿は手に取った。カードを裏返すと、そこには隙間なく小さな文字が印刷されてあった。
それを見た安寿はつぶやいた。
「バラの本数別の花言葉……」
安寿はバラの花束を抱えて本数を数えはじめた。何度も何度も数え直したが、なぜか中途半端な数だ。
(百一本……)
安寿はまたショップカードの裏面を見て口に出した。
「百一本のバラの花言葉、……『これ以上ないほど、あなたを愛しています』」
思わず頬をバラの花以上に赤く染めて、安寿は花束を抱きしめた。
安寿はまたショップカードの裏面に見入った。バラの本数ごとに愛する想いを伝える言葉が並んでいる。安寿はそれを目で追った。そして、ある言葉に目が留まった。安寿はイラストレーションボードをデスクの引き出しから取り出して、下書きもせずにクルルの置き土産のアクリル絵具で絵を描き始めた。それは目の前にある航志朗が贈ってくれた真っ赤なバラの花の絵だ。一輪、一輪、想いを込めて描いていった。描けば描くほど、安寿の心のなかには航志朗への感謝の気持ちがわいてくる。
(航志朗さん。こんな私を愛していると言ってくださって、本当に本当にありがとうございます……)
日曜日の夜遅くに安寿はバラの絵を描き終えた。裏面にメッセージを添えて、月曜日の朝、大学へ向かう途中の郵便局からアイスランドへ向けて航空便で送り出した。