今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 元の道を戻って安寿と航志朗は車に乗り込んだ。お腹が空いた安寿はサンドイッチをほおばったが、航志朗は麦茶を飲んだだけだった。ふたりは温泉を後にした。帰途で航志朗は眉間にしわを寄せながら前方を凝視して黙って運転に集中していた。航志朗は何回も手首で目をこすっていた。安寿は表情を曇らせて何回も航志朗を見た。渡辺の家がある町名標識が目に入ると航志朗がつぶやいた。

 「寒いな。湯冷めでもしたのかな」

 航志朗は額に汗を浮かべている。

 安寿はタオルハンカチを取り出して、航志朗の汗をぬぐった。その時、航志朗の顔が熱を帯びていることに安寿は気づいた。あわてて安寿が言った。

 「航志朗さん、熱があるんじゃないですか!」

 「……そうだな。体調が悪いのかも」

 渡辺の家に到着した。航志朗は車を停車させると、シートベルトを外してぐったりと座席にもたれかかった。

 「航志朗さん!」

 安寿は航志朗の額に手を当てた。とても熱い。

 車の音を聞きつけて、敬仁を抱いた恵が玄関から出て来た。恵は車のそばまでやって来て言った。

 「おかえりなさい! ……どうしたの?」

 安寿は助手席のドアを開けて大声で叫んだ。

 「航志朗さん、熱があるの!」

 「ええっ?」

 驚いた恵はあわてて運転席のドアを開けて航志朗の額を触ろうとしたが、すぐに航志朗がそれを制した。

 「恵さん、だめです。触らないでください。私は、この二週間、シンガポールを含めて三か国を訪れています。恵さんが免疫を持っていない感染症にかかっている可能性があります。どうか敬仁くんのためにも近づかないでください」

 「わかったわ……」

 仕方なく恵は身を引いた。

 恵の後ろから希世子がやって来た。身を乗り出して希世子は躊躇なく航志朗の額に手を置いた。

 「あら、熱があるわね。さあ、航志朗さん、早く横になって休みましょう」

 希世子は航志朗の肩に手を置いた。

 「希世子さん……」

 航志朗は苦しそうな息遣いをしながら、心配そうに希世子を見た。

 希世子は微笑みながらあっけらかんと言い放った。

 「あら、航志朗さん、大丈夫よ。だって、私、フランクフルトに八年間も住んでいたんだから!」

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