今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
美術館のレセプションには、ジーンズを穿いた高校生くらいの愛想のない少女が座っていた。彼女にカード決済で入館料を支払って、エントランスに入った。
天井はドーム状になっていて、何かが螺旋状に貼ってあった。ふと床を見下ろすと、広げられた新聞紙の上に小さなタイルがたくさん並べてあった。子ども向けのワークショップでも開かれていたのだろうか、ユニークな牛の絵に一枚一枚違った個性的な彩色がほどこされていた。
オルガはゆっくりと展示室に入った。地元の新鋭のアーティストの作品が並んでいる。アート鑑賞が趣味の普段のオルガだったら心ゆくまで楽しんだことだろう。だが、オルガはある想いで頭のなかがいっぱいだった。展示室はただ歩いて通り過ぎただけだ。オルガはずっと彼の痕跡を探していた。
オルガは先程の少女に尋ねた。
「すいません、この美術館の館長にお会いしたいのですが。実はイギリスの美術雑誌にこちらの美術館が紹介されていて、興味を覚えて来館しました」
「それは、ありがとうございます。私が当美術館の館長です」とその少女が言った。可愛らしい見かけによらないとても大人びた口調だった。オルガは胸の内で驚いた。
「私に何なりとご質問してください」
館長は静かに微笑んだ。
オルガはその落ち着いた態度に気圧されながら訊いた。
「この美術館は、ミスター・コーシ・キシが、設立に関わっていたと記事に書かれていましたが、具体的にはどんな仕事をされていたのですか?」
一瞬、館長は顔をしかめた。オルガは彼女にじろっとにらまれた気がしたが、すぐに気のせいかもしれないと思い直した。
長い髪をかきあげて、館長がその深い知性を感じさせる英語で言った。
「ミスター・キシには、作品の収集活動、内装から展示方法、さらには経営と運営の体制作りまで、あらゆるアドバイスをいただきました。ご存じかと思われますが、彼はトップクラスの国際的な経営コンサルタントであるだけではなく、アート・マネジメントのドクターでもありますので。そして、一番特筆すべき点は、偶発的なプロセスを経て完成したエントランスの作品を共同制作したことです」
「エントランスの作品?」
オルガは改めてエントランスのドーム状の天井を見上げた。
館長は物静かな口調で言った。
「どうぞ、ごゆっくりとご鑑賞ください。クローズは通常午後六時となっておりますが、お客さまのご都合に合わせますので」
音もなく館長はレセプションに戻って行った。
オルガは天井に螺旋状に貼ってある絵を目を細めて凝視した。よく見ると、プリミティブな茶色い牛たちが死に物狂いで天上界に駆け上がって行くように見える。その躍動感あふれる軌跡が五線譜の連なりのように見えてきた。そして、なぜか耳慣れた楽曲が浄化の雨のようにオルガの頭上に降ってきた。
(目で見ているのに、耳が感じる。……どうして?)
その突然降って来た雨はオルガの存在のすべてを洗い流した。オルガは自分の身体が白く光り輝いているのを感じた。
だが、降ってわいた心地よさに身を任せたのは一瞬だった。突然、オルガは胸の奥が重苦しくなった。
(私は、何か思い違いをしている……)
オルガはその場に手をついてうずくまった。記憶の奥底から浮かび上がってきた真実を思い知って、オルガは吐きそうになった。
(私は自分にうそをついている! 本当は私たちは愛し合っていなかった。そう、彼は私を愛してくれなかった。毎晩のように愛し合ったなんて、大うそ! いつも彼は取り憑かれたように何かを学んでいた。私になんか目もくれずに……)
天井はドーム状になっていて、何かが螺旋状に貼ってあった。ふと床を見下ろすと、広げられた新聞紙の上に小さなタイルがたくさん並べてあった。子ども向けのワークショップでも開かれていたのだろうか、ユニークな牛の絵に一枚一枚違った個性的な彩色がほどこされていた。
オルガはゆっくりと展示室に入った。地元の新鋭のアーティストの作品が並んでいる。アート鑑賞が趣味の普段のオルガだったら心ゆくまで楽しんだことだろう。だが、オルガはある想いで頭のなかがいっぱいだった。展示室はただ歩いて通り過ぎただけだ。オルガはずっと彼の痕跡を探していた。
オルガは先程の少女に尋ねた。
「すいません、この美術館の館長にお会いしたいのですが。実はイギリスの美術雑誌にこちらの美術館が紹介されていて、興味を覚えて来館しました」
「それは、ありがとうございます。私が当美術館の館長です」とその少女が言った。可愛らしい見かけによらないとても大人びた口調だった。オルガは胸の内で驚いた。
「私に何なりとご質問してください」
館長は静かに微笑んだ。
オルガはその落ち着いた態度に気圧されながら訊いた。
「この美術館は、ミスター・コーシ・キシが、設立に関わっていたと記事に書かれていましたが、具体的にはどんな仕事をされていたのですか?」
一瞬、館長は顔をしかめた。オルガは彼女にじろっとにらまれた気がしたが、すぐに気のせいかもしれないと思い直した。
長い髪をかきあげて、館長がその深い知性を感じさせる英語で言った。
「ミスター・キシには、作品の収集活動、内装から展示方法、さらには経営と運営の体制作りまで、あらゆるアドバイスをいただきました。ご存じかと思われますが、彼はトップクラスの国際的な経営コンサルタントであるだけではなく、アート・マネジメントのドクターでもありますので。そして、一番特筆すべき点は、偶発的なプロセスを経て完成したエントランスの作品を共同制作したことです」
「エントランスの作品?」
オルガは改めてエントランスのドーム状の天井を見上げた。
館長は物静かな口調で言った。
「どうぞ、ごゆっくりとご鑑賞ください。クローズは通常午後六時となっておりますが、お客さまのご都合に合わせますので」
音もなく館長はレセプションに戻って行った。
オルガは天井に螺旋状に貼ってある絵を目を細めて凝視した。よく見ると、プリミティブな茶色い牛たちが死に物狂いで天上界に駆け上がって行くように見える。その躍動感あふれる軌跡が五線譜の連なりのように見えてきた。そして、なぜか耳慣れた楽曲が浄化の雨のようにオルガの頭上に降ってきた。
(目で見ているのに、耳が感じる。……どうして?)
その突然降って来た雨はオルガの存在のすべてを洗い流した。オルガは自分の身体が白く光り輝いているのを感じた。
だが、降ってわいた心地よさに身を任せたのは一瞬だった。突然、オルガは胸の奥が重苦しくなった。
(私は、何か思い違いをしている……)
オルガはその場に手をついてうずくまった。記憶の奥底から浮かび上がってきた真実を思い知って、オルガは吐きそうになった。
(私は自分にうそをついている! 本当は私たちは愛し合っていなかった。そう、彼は私を愛してくれなかった。毎晩のように愛し合ったなんて、大うそ! いつも彼は取り憑かれたように何かを学んでいた。私になんか目もくれずに……)